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『ロシアンドールズ』・・・30になっても人生に迷ってます。

『ロシアン・ドールズ』 セドリック・クラビッシュ(2005)
2008年4月25日鑑賞

ロシアン・ドールズ スパニッシュ・アパートメント2

これは、『スパニッシュ・アパートメント』の続編。前作は、学生特有のあのモラトリアムで適当な感じが、ものすごくよく出ていて哀愁をさそった(私ももう結構歳をとってしまったのだなあ)のだが、本作はその続編。

うん、やっぱり歳のせいだか、こちらのほうが共感する部分が多かった、そして面白かった。主人公のグザヴィエの、なんともはっきりしない感じが、う~ん、共感したくないんだけど、わかるんだよなぁ。このまま歳とっていちゃっていいのだろうか、恋愛とか仕事とか、もっとうまくいく方法もあるんじゃないだろうか、でももう30歳になってしまったし、でも・・・という感じ。あぁ、切ない。全く。

この映画ですきなのは、前作でもそうだったのだけど、さまざまな国の人が出てくるところ。それぞれお国なまりの英語をしゃべってるのが本物っぽくて好き。いろんな国が交わる、そういう感じが好きなのです。映画のできの良し悪しはともかく、個人的には割りと好きな映画だな。
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by yebypawkawoo | 2008-04-29 23:13 | ◆映画のこと  

『明日、君がいない』・・・自殺するとき、しないとき。

『明日、君がいない』 ムラーリ・K・タルリ(2006)
2008年4月25日鑑賞

明日、君がいない

これは、19歳の監督が撮った、実験的ともいえる作品。映画の撮り方が、面白かった。

話は、誰かが自殺した午後2時37分から始まる。
それから時は一気にその日の早朝にさかのぼり、時間を行ったり来たりしながら、その時刻、2時37分に向けて進んでいく。舞台はとある高校、登場人物はその高校の生徒たち。彼らそれぞれの視点でその一日が切り取られていく。高校生たちそれぞれの視点によって、同じ場面が別の角度から何度も繰り返される。彼らは、思春期特有の危うさと、若干重めの悩みを抱えていて、それゆえに誰が自殺してもおかしくないと思わせる。そして、彼らの視点をそれぞれ追っていった末の、意外な結末。

この結末をもってして、この映画は完成するのだと、そう思う。あぁうまいなあ、と私は思った。どんなに深刻で重たい悩みを抱えていても、彼女は彼は生きたんだなと思った。どんなに普通に見えていたって、死んでしまうこともあるんだよね、と思った。それはそのまま、学生時代の自分を思い起こさせる。真実はその本人にさえわからなかったりするが、それが人生なんだなという気がする。結局のところ、うまく自分で納得でき、理由づけできさえすればいいのだ、きっと。人生っていうものは。

19歳でこの映画をとった監督はすごい。逆に、19歳だからこそ撮れた映画なんじゃないか、そんな気もした。
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by yebypawkawoo | 2008-04-29 23:02 | ◆映画のこと  

『ブエノスアイレスの夜』・・・アルゼンチンの一つの歴史録

『ブエノスアイレスの夜』 フィト・バエス(2001)
2008年4月19日鑑賞

ブエノスアイレスの夜

最近、映画を見ていてよく思うのは、監督は(あるいは映画にかかわった人々は)、この映画で何を表現したかったのだろう、ということ。その中には、社会背景や歴史について多くの人に知ってほしいと、そういう意図を持つものも少なからずあるだろう。本作は、アルゼンチンで起こったある出来事を背景に書かれている。1976年の軍事クーデター。この事実を知らなかった私は、初見で本作をきちんと理解することはできなかった。が、それゆえ本作は、この歴史を知るきっかけとなった。

アルゼンチンでの軍人による恐怖政治と、強制連行・拷問・暴行などで被害を受けた、2万とも3万ともいわれている「行方不明者」達。本作は、この悲しい歴史を背景とした、一組の男女の悲しい物語である。

セシリア・ロス演じるカルメンと、ガエル・ガルシア・ベルナル演じるグスタボの二人の出会いから徐々に深まっていく関係と、その狭間狭間で明らかになっていく彼らの過去の描き方は、なかなかうまいのではないかと思う。あれこれ想像しながら見れるし(ただ、最初はよく理解できずちょっと寝てしまった・・・)。よかったのは、最後のセシリア・ロスの台詞。彼女の切なく悲しくやりきれない過去を、前向きに変えるいい言葉だな、と思った。そして、ガエル君は相変わらずセクシーで、笑顔はチャーミング。

ただ、音楽がなぁ。なんともいただけない感がありました。そこが残念であった。
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by yebypawkawoo | 2008-04-21 02:20 | ◆映画のこと  

『約束の旅路』・・・ひとつの史実と、ひとつの人生。

『約束の旅路』 ラデュ・ミヘイレアニュ(2005)
2008年4月17日鑑賞

約束の旅路 デラックス版

この時ちょうど読んでいたスタンダール『赤と黒』の主人公ジュリヤンと、本作の主人公シュロモとが重なって見えた。そこに置かれた経緯は異なるものの、時代を生き抜くために自分を偽り、偽るために勉強に精を出し非常に能力が高く、置かれた時代背景を背負っている、そういうような部分が。

本作は、イスラエルが舞台であり、ユダヤ教が題材だ。したがって、この映画を見て第一に私が感じたことは、イスラエルやユダヤ教についての自分の浅識さ。ついこのあいだ『ホテルルワンダ』を見たときにも思ったことだが、私はなんて世界情勢について知らないのか、ということ。というよりも、こう言ったほうが適切かもしれない―NEWSレベルの知識を持っていても、それは本当に知っていることにはならない―。しかし、監督はインタビューで答えている。たとえば、イスラエルのことを語るとき、パレスチナ戦争という側面からしか語らない、知らない人がずいぶん多いが、それは間違っている。日本を第二次世界大戦からしか語らない、という人はいないでしょう?と。すなわち、この映画には、イスラエルやそれを取り巻く状況のことをもっと世界に知ってほしいと、そういう意図もこめられているのだろう。

もちろん、あらすじそれ自体は、そういった状況を背景にしつつも、もっと個人にフォーカスした物語をすすんでいく。生き抜くために、母親に難民キャンプから追い出される形で別人の人生を歩むことになった主人公の、苦悩と葛藤の人生を描き出している。幼いころに言われた母親の言葉を糧に、彼はずっと悩み続ける。「僕は何になればいいの?」と。母親を思うときに出てくる月が印象的。随所随所で出てくる月の映像が、彼がその一言をいつまでも引きずって、いや、大切にして生きていることを教えてくれる。やはり、幼いころの絶対である親の一言が、子の人生を決定付けることは往々にしてあるんだろう。その言葉の本当の意味を理解しようと、もがき苦しむのは、きっとどの時代であっても同じなのだろう。もがき苦しむ中で、自分なりの意味を発見していかなければならないのだろう。人生に正解はない。自分で意味づけし、見つけ出し、形作っていかなければならない。この映画は、そんな事をも考えさせ気づかせてくれる。

映画や文学は、人生の問題について扱うと同時に、その時代背景や社会が抱える問題についても教えてくれる。それは、NEWSや新聞で見聞きするより、ずっとリアルだ、私にとっては。もちろん、そこで学ぶことは問題のほんの一側面にしか過ぎないけれど、全体像を最初から把握するなんてことは難しい。多角的な視点のひとつを与えてくれる。そういう意味で、この映画は非常にすばらしいと思うし、見てよかったと、そう思った。
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by yebypawkawoo | 2008-04-17 11:33 | ◆映画のこと  

『黄昏』・・・親子の確執と和解、かぁ…。

『黄昏』 マーク・ライディル(1981)
2008年4月16日鑑賞

黄昏 (ユニバーサル・セレクション2008年第3弾) 【初回生産限定】

原題は、『On Golden pond』。その名のとおり湖のほとりを舞台として進んでいく話。この湖が美しい。音楽はあまり入っていないのだけど、映像が清らかな気持ちにさせてくれる。

この作品では、老いて死を意識するようになったノーマン(ヘンリー・フォンダ)とその妻エセル(キャサリーン・ヘップバーン)が、避暑のためだろう、湖のほとりの別荘にやってきてから去っていくまでの、ひと夏のことが描かれている。

このノーマンが、すごい偏屈親父。毒吐くわ吐くわ。自分の感情とか弱さを見せないための、自己防衛だろう。こういう親父、いるいると思う。でも彼、たぶんずっとこうやって生きてきていて、それが故か、娘のチェルシーとは確執があるんですね。お互い、なんだかうまく歩み寄れない。歩み寄れないまま、老いてしまったし、大人になってしまった。でも、チェルシーは、ずーっと父親に対する複雑な想いを抱えて生きてきていた。それが、彼女の恋人やその子供(13歳の連れ子)が絡むことで、ちょっと解きほぐされる、そういう話。

親と子の間の確執って、やっぱり普遍なんですねえと思う。やっぱり意地の張り合いがあったり、勝手に解釈して、なんでい!と思いこんだり。そういうの、きっと誰しも経験あると思う。でも、本人にとっては結構真剣だし複雑だし、辛いもんです。この映画を見ると、すこうし、親にやさしくしようと思うかもしれない。歩み寄ろうと思うかもしれない。でもたぶん、それはある程度経験を積んでからかな。私はまだどこか、客観的視点で見てしまったかな。父娘ノーマンとチェルシーを演じた二人は、本当の親子です。そして実際に、確執があったらしい。それが和解後、この作品を撮る運びに…という感動秘話があるみたい。ふーん(やっぱり、わたしはまだまだ大人に成りきれてません)。

だけど、老夫婦の在り方としては、いいなぁって思う。時を経て、こういう風にわかりあえていくのは素晴らしいなと思う。キャサリン・ヘップバーンが、すごく良かった。役柄としても。
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by yebypawkawoo | 2008-04-16 16:28 | ◆映画のこと  

『アメリ』・・・やっぱり女の子は現実的なのかしらん?

『アメリ』-ジャン=ピエール・ジュネ(2001)
2008年4月15日鑑賞

アメリ

このあいだ、クレーム・ブリュレを食べたんです。その時、猛烈に見たくなった『アメリ』。2度目の鑑賞。でも、面白かった。

オドレイ・トトゥ演じるアメリの妄想が、すごくわかる。あの感じ。あるあるって頷いちゃう。ジャン=ピエール・ジュネは男性なのに、あの女の子の感じがよく表わせたなぁと感心してしまう。『恋愛睡眠のすすめ』も、同じように妄想癖のある男の子の話だけど、女の子と男の子の違いがよく表れてる気がする。

後者での、ガエル演じるステファンの妄想は、何ていうかやっぱりどこか即物的なのよね。セックスとか。自分の気持のよい世界へまっしぐらな感じ。さえない現実を受けて、そこから逃避するための…というように私には見えた。対する、アメリ。彼女はもっと、感覚的な雰囲気。現実を受けて、それを踏まえた上での妄想、空想。でもきちんと現実にリンクしてる。やはり、女子のほうが現実的なのか?

それから、やっぱりこの映画はかわいいよね。創り方とか見せ方が。最初に、いろんな人の好きなものを羅列していくとことか、最後のおしまいの部分、アメリと男の子の自転車シーンとか。アメリの部屋の色彩とかね。そういう部分、女心がくすぐられます。それだけじゃなくって、妙にリアルな出産エピソードとか、妙に真剣ないたずらとか、そういうユーモアも良い。

さて、もいちどクレーム・ブリュレ、食べに行きますか(だって私も好きなんだもん、あのぱりぱりの飴の部分)。
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by yebypawkawoo | 2008-04-16 01:00 | ◆映画のこと  

『天国の口、終りの楽園』・・・旅に出たくなった。

『天国の口、終りの楽園』 アルフォンソ・キュアロン(2001)
2008年4月14日鑑賞
(ややネタばれ有)
天国の口、終りの楽園。

旅に出たくなった。
旅に出たとき特有の、あの雰囲気。
どこか非現実なようでいて、その中で自分の日常を振り返ってしまう。
客観的に見えてくるものがある。あの雰囲気。

メキシコの風景が作られていなくて、とても自然にある。
その中を旅する、ガエル演じるフリオと、ディエゴ・ルナ演じるテノッチの二人の少年。
そして、そこに加わる人妻、マリベル・ベルドィー演じるルイサ。

二人の少年は、若いころ特有の、めちゃくちゃ感にあふれている。何かよくわからないまま、ままよ、とやってしまうあの感じ。実はまだ世の中のことも何もわかってなくて、でも自分の限られた認識の中で精いっぱい生きているあの感じ。今にして振り返ると、若かったなあって思ってしまう、あの感じ。

そして、ルイサ。ルイサの抱える切なさ。彼女の、その抱える切なさや孤独ゆえの、明るさ。ものすごい吹っ切れ感。これは一体何だろう?と思っていると、最後に納得する。少年達もきっと感じたであろう、やりきれなさというか言葉に尽くせない感じ。彼女への想い。それを私も同時に味わった。そして、もう一度見たくなった。彼女の視点で、この旅を。

政治とか、生活落差とか、経済とか、そういう社会的問題が自然な形で入ってきている。セックスとか、恋愛とか、若さとか、そういうものも。その描写の仕方が、現実を感じさせる。自然体なの、すごく。だから、すんなり入れる。彼らの、彼女の視点で一緒に旅してしまう。

しかし、映画の最後に、旅に出た時のあの非日常感は、けれど現実との対比の中での特別なんだ、と気づく。旅から戻った少年二人は、旅行中の出来事が関係しているのだろう、いつの間にか疎遠になり、現実の現実的な生活を送り始めるし、ルイサの旅は、死を直後に控えていたが故の、現実をはじきだすための旅だった。

旅に出たくなった。
現実を離れ、非日常に埋もれ、すべてが鮮やかで新しく何をしてもいい気がしてくる、何でもできる気がしてくる、そういう旅。けれどやっぱり、それは現実との対比でしかなく、現実を生きることが一番重要なのかもしれない。
それでも。そういう思い出があるからこそ、人生は楽しく苦く鮮やかなんだ、そう思うんです。
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by yebypawkawoo | 2008-04-14 17:02 | ◆映画のこと  

『ホテルルワンダ』・・・個のことを考えて生きられたなら

『ホテル・ルワンダ』 テリー・ジョージ(2004)
2008年4月12日鑑賞

ホテル・ルワンダ プレミアム・エディション

これは、実話をもとにした話。友人に勧められ、鑑賞した。重かった。

1994年、ルワンダで実際に起こった、フツ族によるツチ族の大量虐殺、ジェノサイド。たった100日間で約100万人ものツチ族が殺された、とも言われている。その100日の間、高級外資系ホテルの支配人、ポール・ルセサバキナ(実在)が、ホテルに1268人の避難民(ツチ族含む)を匿った。その時の様子が、描かれている。と書くとさらっと書けてしまうが、映画では、その虐殺の様子、ラジオによって煽られるフツ族の人々のツチ族に対する憎しみ、ジェノサイドへの高揚、ポール自身の葛藤、死への恐怖、先進諸国の人々のやりきれなさ、そういった一つ一つが、映像を伴って迫ってくる。

事実を基にした映画を見ると、ニュースで浅く知っていた話を、ああ、これって本当に起ったことだったんだな、と再認識させられる。『マイティ・ハート』を見たときもそうだった。それは、個の感情や状況が理解でき、自分を投影できるからだと思う。

無関心が罪である、とこの映画は私たちに訴えかける。ニュースだけ見て終わる、そういう無関心。でも、たいていの人々は映画を見て自己投影し、これでは駄目だと、そういう感想を持ったのちにも、いつの間にか忘れて自分の日常に埋没していくんだろうな、とも感じる。

たとえば、私にとっては。ルワンダ大量虐殺は、戦国時代の大量虐殺とは同じくらいの遠さだなあとこの映画を見ながら思っていた。もちろん、時代背景・価値観が違う。だから同レベルでの比較はできないし、するつもりもない。だけどそれらは、どちらも作られた価値観だし、教育や思い込みなのじゃないかとも思う。フツ族の人々が、それまでツチ族に虐げられてきた歴史のみを学び、憎しみだけを醸成される教育を受けていたとしたら?彼らを一概には責められないのではないか。戦国時代の殺人を責める人がいないのと同様に。教育の問題、思想の問題。

しかし、どの時代も、殺されるかもしれない側の恐怖は、生物レベルでは同じなのではないかと思う。マスを相手にすると、個を相手にした時よりも感覚が鈍化するのだと思う。だから、十把一絡げに物事を考えるのはやめたいと感じる。実生活では、なるべく個々のことを考えて生きれたらいいなと思う。もちろん、すべての人々に同じことをすることは困難だけども。

思い出すのは、「半径5Mの人の幸せが大切なのよ」という、後輩に教えられた言葉。この言葉を、やはり私は実践していきたい。まだ、全然できていないなと、そういうことに思い至った。
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by yebypawkawoo | 2008-04-14 12:56 | ◆映画のこと  

『バックマン家の人々』・・・親っても、ただの人間なのだよね。

『バックマン家の人々』 ロン・ハワード(1989)
2008年4月11日鑑賞

バックマン家の人々

親との関係に少なからず悩んでいる人には、しみる話なんじゃないかな。子供の視点というよりも、親の視点からの「家族」「親子関係」について考えさせられる。気づかされる。あぁ、親も人間なんだよな、と思う。

ひとつの家庭の子育てドラマ、ではなく、バックマン家親戚筋の4家族の話がそれぞれ描かれている。どの家族もうまくいってない部分があって、でもそれが普通なんだなと気づく。うまくいってないのではなくて、そういうもんだし、それにどう対応するかということなんだと。家族は繰り返す。父から子へ、そのまた子へ。母親から娘へ、息子へ、そのまた赤ちゃんへ。それぞれのライフステージで、いろいろなことに気付いていく。でも、そこに至るまでには気づけないことって多い。そんな当たり前のことに気づかされる。感動シーンがあるわけではないけれど、途中何度か私は泣きそうになった。

そして、この映画が作られたのは1989年。今から約20年も前なんだ(キアヌ・リーブスが若い!)。けれど、ちっとも色褪せてない。現代でもきちんと通じる。そうか、人間って、その家族って、きっとその大元はどこでもどの時代でも同じなのかもしれないなって、そう思った。
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by yebypawkawoo | 2008-04-11 21:44 | ◆映画のこと  

『カーサ・エスペランサ~赤ちゃんたちの家~』・・・子供を持つという選択。

『カーサ・エスペランサ~赤ちゃんたちの家~』 ジョン・セイルズ(2003)
2008年4月10日鑑賞

カーサ・エスペランサ ~赤ちゃんたちの家~
これは、女性なら見て思うところが多いんじゃないだろうか。子供を持つということ、について様々な角度から考えさせられる作品。

色々な理由で子供を産むことができない6人のアメリカ人女性が、養子縁組をするために南米(メキシコ?)を訪れ、赤ちゃんを待つ話。彼女達の抱えるそれぞれの過去、想い。そこに、子供ができたが養子に出さざるを得ない状況に陥ったまだ若い女の子、かつて自分の産んだ子を養子に出した過去のあるホテル従業員、路上で生活をしている男の子、養子に出されるのを待っている赤ん坊たち、等のストーリーが絡んでくる。

子供は親を選べないとはよく言う話で、でも、それは生みの親に限らずなんだと思った。なんにしてもどういう状況にしても、子供は親を選べない。映画の中で、「どんなにひどい親だったとしても、子供は育つものよ」と、確かそういう言葉が出てくる。これと同じ話を、そういえばつい最近知人にも言われたんだった。6人の女性たちは、ある部分で、養子を得ることで自分の人生を変えられるとの望みを持っているように見える。赤ちゃんに託している。非常にエゴイスティックな話。けれど、多かれ少なかれ、子供を産むとか持つとか、それはエゴイスティックな話なんだろう。

子供を産むか産まないか、持つか持たないか、は個人の選択による。が、産むと決めたなら、持つと決めたらなら、いやおうなく一個人の人生に介在するわけである。私はそれが昔はとても怖かった。けれど、どんな子供もあるとき気付くのだと思う。親はあくまで一人の人間なんだということに。これから、養子を得た彼女たちは、そしてその子供たちはどんな人生を歩むのだろう。映画を見ながらそんなことを想像させられた。最後には幸せになっていてほしい、そう願っている自分に気づいた。
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by yebypawkawoo | 2008-04-10 19:47 | ◆映画のこと