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『それから』・・・そのまま自然を貫いていけるのでしょうか?

それから (新潮文庫)『それから』 夏目漱石(新潮文庫)
2008年12月30日読了


夏目漱石三部作の2作目、『それから』です。『三四郎』も『門』も、未だ読んだことはありません。が、年齢的にもっとも近いところから入ろうと思い、まずは本作に手を伸ばしました。そのほうが、共感できることも多かろうという魂胆です。

しかし、なかなかどうしてあまり共感できませんでした。論理を盾に、自分の自然を一番として生きてる主人公、代助。三十歳にしてなお、事業を経営する父や兄の援助に頼り、本を読んだり考えにふけったり、いわゆる“遊んで暮らす”毎日です。働くならば、金を稼ぐための労働ではなく、労働のための労働をすべきだ、という考えの元、今日もぶらぶらふらふらしています。そんな代助に私はどうしても、共感することができませんでした。

ひとつには、そういう生き方がうらやましいという気持が私にあるのです。本当は、私もそうやって生きていたいのです。自分の自然にしたがって、心の赴くままに刹那を過ごしたいのです。そうです、私は強烈に彼の生き方を羨んでいます。妬んでいます。なぜなら、今のわたしは、自然に逆らって生きざるを得ないからです。経済的理由ゆえ、自分の本当の希望より食い扶持を稼ぐに重点を置いてしまっている自分がいます。本当はそうしたくないのです。だけど、その道を進んでしまっているのです。

ひとつには、論理的矛盾を感じるからです。彼のその自然を支えているのは、計画にのとった父や兄の事業です。金のを稼ぐための労働です。代助はその上に胡坐をかいているのです。のうのうと!いや、何か指摘するようなことをいいましたが、本当はこれも私の嫉妬に違いありません。親の援助で遊んで暮らせるなんて!そんな親がいるなんて!本当ならば私もそうして暮らしたいのです。家庭環境に対する妬み嫉みです。

そして、もうひとつは恋愛です。友人平岡の妻、三千代との恋愛がうまくいってしまうことに対する嫉妬の気持です。いわば、平岡は現実です。どうにも仕様がない、金を稼がなければ生きられない、汚い、嫌な、逃げ出したい、現実です。対する代助は、お遊びです。夢です、空想です。机上の空論です。いつか崩壊する、刹那の幻です。そりゃあ綺麗に違いありません。それを比較するのが間違っているのです。夢のほうが楽しいに決まっているじゃないですか。平岡の行動はどこまでも現実的で、代助の考えはどこまでだって論理です。現実に疲れた三千代が自然の代表、代助を選んでしまうのは、現実を現実的に過ごすしかない私にとっては悔しいのです。悲しいのです。

結局は、嫉妬なのです。代助に対する、共感ではなく嫉妬なのです。そう生きたいけれど生きられていない、自分に対するジレンマなのです。

しかし、最後に代助は現実を突きつけられます。父からの援助をきられ、兄からの縁も切られ、金を稼ぐための労働をしなければならなくなります。それから?それから、代助はどう生きるというのでしょうか。三千代との関係はどうなるのでしょうか。きっとその解は、『門』にあるのでしょう。けれど、そのまま自然を貫いてほしい。猛烈に私はそう望みます。私と同じ状況に立たされた今こそ、自然と論理をふりかざしてどう生きるのか、私に進めなかった道をどうすすむというのか、見せてほしいのです。

まだ、私は、自然を貫く生き方を、諦めきれていないのかもしれません。
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by yebypawkawoo | 2008-12-31 01:13 | ◆本のこと  

『回転木馬のデッド・ヒート』・・・語られたがる話の処遇について

回転木馬のデッド・ヒート (講談社文庫)『回転木馬のデッドヒート』 村上春樹(講談社文庫)
2008年10月中旬読了


10月に本書を再読して、思うことがあった。それを携帯にメモしたまま、忘れ去っていた。こっちに日記を書いていて思い出したので、改めてここに記しておこうと思う。


私には、他人の話を収集していた時期がある。何年か前、私は意識的に、他人の家族の話を収集していたのだ。機会があれば耳を傾け記憶しようとしたし、わざわざ聞き出そうとさえした。さまざまな友人・知人の家族構成を、起こったエピソードを、それぞれの想いや憎しみやしがらみや、愛情を。そしてそれらは私の中にストックされた。『回転木馬のデッド・ヒート』を読みなおして思い出したのはそれらの存在だ。そして気づいた。それらのエピソードは、語れらたがっている。

村上春樹は言う。
どうしても僕の中に小説には使いきれない“おり”のようなものがたまってくる。僕がスケッチに使っていたのは、その“おり”のようなものだったのだ。そしてその”おり”は僕の意識の底で、何かしらの形を借りて語られる機会が来るのをじっと待ち続けていたのである。

この本は、そんな、村上春樹の中で語られる機会を待ち続けていた“おり”の願望を表象化したものだ。語られたがっていた彼らが語られた舞台だ。全8話からなる本書のそれぞれのエピソードは、現実にありえそうでありえなさそうな、絶妙な位置をキープしている。これらは本当に現実におこったことなのか、それとも創作なのか。それは作者ではない我々にはわからない。けれど、現実なのかもしれない、現実なんだろう、と思えてしまうかどうかが重要なのだと思う。少なくとも、私にとっては現実だ。事実、語られたがっている話は、私の中にもある。

他人の話を聞けば聞くほど、そしてその話をとおして人々の生をかいま見れば見るほど、我々はある種の無力感に捉われていくことになる。“おり”とはその無力感のことである。我々はどこにも行けないというのがこの無力感の本質だ。

確かにそうだ、結局はどこにも行けない。そこに思い至ってから、わたしは収集をやめた。収集は解決にはならないと気付いてから。「文章による自己表現は誰の精神をも開放しない」とは村上春樹の弁。精神解放のための文章ではない。語られたがっているから、語る。それだけだ。けれど、語った先には何かが融解するような気もするのだ。それが何かがまだ私にはわからない。

確かに、彼らは語られたがっている。私の中で無音の声をあげている。でも、まだ時期ではないと思う。さまざまな意味でまだ時期ではない。その先がまだ見えない。声が大きくなり、耳をふさげなくなる時がいつか来るんじゃないかと思う。その時には、語りたいと思う。どのような形でどのように語るのかはわからないけれど。あるいは、そのまま闇の中に葬られる可能性だってあるけれど。
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by yebypawkawoo | 2008-11-07 02:15 | ◆本のこと  

『地下街の人びと』・・・39度の高熱をだしたときの、あの感じ。

地下街の人びと (新潮文庫)『地下街の人びと』 ジャック・ケルアック(新潮文庫)
2008年10月30日読了


訳者あとがきより
ケルアックは意識によることばの検閲を排除し、無意識の領域を掘り起こそうとする。ものすごい速度でタイプを叩きながら精神から湧き出ることばの泉を汲み取る。そしていったん記録されたものを決して推敲したりしない。

これを読んで納得。スピード感あふれる文章だった。というよりも、感覚、色彩とか触感とかそういう感覚が先行していくような文章。思考が文章に追いつけていないような、下り坂で走っていたらスピードがつきすぎて足が絡まっちゃって、でもそのまま走り続けてる、というような、そういう文章だと思った。

ビートニクと呼ばれていた人達の日常を描いた作品ということだけれど、1秒1秒の時間が濃い。主人公レオの視点を通してみる世界は、まるで魚眼レンズを覗き込んだようだ。ゆがんで膨張されて、個人の側にひどく偏っている。でもらりってるときってこんな感じ。高熱が出ているときの、あの感じ。ケルアック本人が、ドラッグをやりながら本作をかき上げたこととは無縁ではなかろう。

こういう作品を読むと、原文で読みたいと思う。訳者の訳はどこまで原文のリズムを語感を表現しているのだろうか?あるいは補強しているのだろうか?

途中で積読仲間入り中のバロウズ、『queer』も早く読まないと。
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by yebypawkawoo | 2008-10-31 00:51 | ◆本のこと  

『ティモレオン センチメンタル・ジャーニー』・・・滑稽でみじめで悪趣味で、でもすごく正直だ。

ティモレオン―センチメンタル・ジャーニー『ティモレオン センチメンタル・ジャーニー(TIMOLEON VIETA COME HOME)』 ダン・ローズ(中公文庫)
2008年6月13日読了


これは、ティモレオン・ヴィエッタという雑種犬と、その飼い主・イギリス人のコウクロフトの物語。何が面白いってうまく言葉にできないんだけど、面白かった。ひどく滑稽で、みじめで、ブラックで、グロテスクで、正直な話だと思う。

物語は2部構成になっている。
1部ではイタリアの片田舎の別荘に暮らすコウクロフトとティモレオン・ヴィエッタと、謎の自称ボスニア人の “ちぐはぐ” で “哀れ” で “滑稽” なやりとりが描かれる。そして2部では、そのボスニア人に捨てられたティモレオン・ヴィエッタが、健気にもコウクロフトの家をめざす途中ですれ違う、さまざまな市井の人々の “不条理” で、でも “正直” で “気持ち悪いけど気持ちいい” そんな人生の一部が語られる。

この物語には、いろんな人の愛にまつわる人生の一端が描かれていて、それは「犬と飼い主」だったり、「ゲイの老人とその契約愛人」だったり、「かつての恋人と今の自分」だったり、「やもめの大学教授と残された血のつながらない外国人の幼子」だったり、「冴えない警察官とその妻」だったり、普通に「恋人どうし」だったり、なのだけど、そのどれもが綺麗な美しい物語じゃない。すごく滑稽。でも、ひどく正直。正直な描写だと思う。自分ももってるエゴを見せつけられるかのようでやるせなく気持ち悪いのだけど、客観的視点で眺めた時の徹底的な惨めさ・正直さに気持ちよくもなる。

最後の最後まで皮肉に彩られていて、でもなぜだかすんごくかわいくもあるお話。もう、形容詞だらけで何が何だかわからない。でも、これこそが人生、な気もする。
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by yebypawkawoo | 2008-06-20 14:56 | ◆本のこと  

『実録・外道の条件』・・・

実録・外道の条件 (角川文庫)
『実録・外道の条件』 町田康(角川文庫)
2008年6月8日読了

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by yebypawkawoo | 2008-06-18 15:31 | ◆本のこと  

『iモード事件』・・・

iモード事件 (角川文庫)
『iモード事件』 松永真理(角川文庫)
2008年6月3日読了

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by yebypawkawoo | 2008-06-18 15:23 | ◆本のこと  

『エンジェルエンジェルエンジェル』・・・

エンジェル・エンジェル・エンジェル (新潮文庫)『エンジェルエンジェルエンジェル』 梨木香歩(新潮文庫)
2008年5月31日読了

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by yebypawkawoo | 2008-06-18 15:14 | ◆本のこと  

『雪沼とその周辺』・・・誰しもみんな、色んな事を思い、考えて生きている。

『雪沼とその周辺』 堀江敏幸(新潮社)
2008年3月31日読了

雪沼とその周辺 (新潮文庫 ほ 16-2)

高円寺の古本屋にて、単行本が200円で売っているのを発見。思わず手に取る。文庫派の私としては(持ち運びやすいんだもん)いささかイレギュラーではあるけれど、単行本を持ち歩く、という暴挙(だって重いんだもん)に出ました。

この本は、でも、電車なんかで読むのはオススメしない。腰を落ち着けてじっくり読んでほしい。

一語一語かみしめながらじゃないと、なかなか私の中に言葉が入ってこなかった。けれど、ゆっくりと入ってきた言葉たちは、静かにじんわり響いてくるものがあった。

本作、雪沼という山間の小さな村を舞台に、そこに暮らす何の変哲もない普通の人々の日常を描いた連作である。だけど、そういう人々の人生にだって、その人生を送ることになった理由があり、転機があり、そしてこだわりがある。そういうものを、丁寧に淡々と描き出している。

そうか、そうだよね。と思う。たとえば、自分の人生でいっぱいいっぱいになりがちだったりするけれど、そして“自分はこんなに考えてるのに”とか、“こんなに辛いのに”とか、そういう思考に陥ってしまうことがあったりもするけれど、自分以外の周りの人―父親や母親、同僚や上司、友人、隣人、そういう人たちにだって、決してドラマティックではなかったとしても、なんらかの人生ドラマはあるはずで。そういう部分って、他人には見えにくい。けれど、確かにその人の哲学を形作っていっているのだと思う。

作者の、人の人生やそれに伴う感情を、どこか斜め上方から客観視し、描き出す視点。
こういう視点を、常に持っていたいものだな、なんて思った。
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by yebypawkawoo | 2008-04-02 09:16 | ◆本のこと  

『きいろいゾウ』・・・すれ違いをいかに受け入れるか

『きいろいゾウ』 西加奈子(小学館文庫)
2008年3月29日読了

きいろいゾウ (小学館文庫 に 17-3)

西加奈子の本を読むのは3冊目である。著者が会社の先輩の同級生だったらしい。そのつながりで薦められ、なんとなく手に取って読み始めた。1冊目『さくら』、2冊目『あおい』についで、3冊目『きいろいゾウ』。その中では、本作が一番面白かったように思う。

いや、というよりも、私はこの話結構好きです、と言い切ってしまおう。

話は、田舎に住み始めたひと組の夫婦を軸に進んでいく。妻の視点から見た生活、夫の視点からみた生活、が交互にあらわれ、交差していく。お互いをとても大切にしあい、愛し合っている夫婦なのだけど、見ているものや感じていることがちょっとずつ違う。それが夫婦それぞれの視点で描かれる生活によって読み手に対して明らかになる。その違いに蓋をして、あえて触れないようにしていたために、少しずつずれていく互いの気持ち。考え。

こういうことって、割と日常にあふれている。そこまで親しくない人だったら、それでもまぁ問題にはなりにくいのだけど、恋人同士、夫婦同士となると話が違ってくる。
私は割と本作の主人公、ツマと同様に、感じていることや言いたいことをあえてスル―させて蓋をしがちだったりする。たぶん、そういうところが非常に理解できたからこそ、随所随所で語られるツマの言葉に共感したし、この話が好きだと思ったのだろう。

でも、夫婦っていっても恋人っていっても、所詮は他人同士。見てるものも違えば考えることが違うのは当たり前。どこまで自分をさらけ出すのかとか、そういう問題は本当に難しい。私は、すべてをさらけ出してはいけないと思う。お互い他人であるということを忘れてしまってはいけないと思う。絶対に。そこを意識するからこそ、言葉で伝えあうことは、とても大切だとは思うのだけど。

なんにせよ、この本、話のテンポがよく、すらすらっと読める。
随所に現れる関西弁も、西日本出身の私としては違和感なし。
ベタではあるけれど、随意随所で現れる言葉にハッとすることも何度か。
評価は人によって割れるだろうな、とは思うけれど、私には面白い作品だった。
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by yebypawkawoo | 2008-03-30 16:34 | ◆本のこと  

『停電の夜に』・・・違和感って日常にあふれてると思う

『停電の夜に』 ジュンパ・ラヒリ(新潮文庫)
2008/3/26読了

停電の夜に (新潮文庫)

ラヒリの作品は、『その名にちなんで』を読んだのが最初。
それがあまりに面白くて、それで短編集である本作をすぐに入手した。

ラヒリの文章は、人物の心情を具体的に描くことが少ないように思う。それよりも、各々の仕草であるとか、ふと思ったこと何かの描写にたけている。その一つ一つが、側面から各々の胸の内を浮かび上がらせる。映画を見ているような文章。本当にうまい。小川高義さんの訳もうまいんだろうな。

ラヒリ自身がインド系アメリカ人(確か)であることもあり、アメリカに身を置くインド人、あるいはその2世なんかが主人公になることが多い。その普段の暮らしの中で感じる少しの違和感を描き出すのがうまい。

わたしは、昔からアイデンティティに疑問をいだく、というところを出発点とするような話、作品が好きだ。イサム・ノグチの作品もそうだし、カズオ・イシグロの小説もそう。それは、自分が転校生だったことも少なからず関係しているんだろう。そのちょっとした違和感って、でも普通に日本人として日本で暮らす私の日常にもあふれている。それをどう処理していくのか。そういう部分で感じることの多い作品だった。

訳者もあとがきで、こう述べている。
何かしらの異なるものに触れたとき、それをどうにか自分のわかるようなものに解釈しようとする試みが、作品の随所で行われている。


一方で、彼女の作品は結婚をテーマにしたものが多く、作品を通じて感じられる彼女の結婚観には、いまいち共感できない。もう少し、歳をとって、たとえば30代になったとき、たとえば結婚後で、読むとまた違った感想を抱くのかもしれない。
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by yebypawkawoo | 2008-03-27 22:38 | ◆本のこと