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『ぼくを葬る』・・・孤独に対峙する強さを想う

ぼくを葬る [DVD]『ぼくを葬る(おくる)』フランソワ・オゾン(2005)
2010年4月20日鑑賞


これは、すばらしい映画だと思った。少なくとも私は、フランソワ・オゾンの作品の中では一番好きだ。個人的なツボをつかれて、心臓がぎゅんとした。

これは、メルヴィル・プポー演じるロマンが、余命3カ月を宣告されてからの時間をたんたんと描いていく映画。素晴らしいのは、彼がひたすらに自分に向き合っていく、そのさまを描く表現に、描写に、余計な説明が一切ないことだ。ただただ彼の行動を追っていくだけ。しかし、その行動に、彼の心情がきっちりと描き出されている。

メルヴィル・プポー(ロマン)は、祖母ただ一人を除いて、自身の病気に対する一切の説明をしない。その強さを想う。果たして私が余命3ヶ月と宣告されたとき、他人に何も言わずに一人で受け止めるという選択をとることができるだろうか、と思う。しかし、そうありたい、とも思う。そうあることの傲慢さをまた一方で知りつつも、しかしそれが美しいと私は感じるから。

自分自身に向き合うことは、自分の過去にも向きあうことであり、自分の感情にも、その源泉にも向き合うことだ。そしてそれは、結局は個人の物語でしかないのだ。ラストシーンで、はっきりとそのことを悟る。ビーチで遊ぶ若者・子供たちと対比で描かれるメルヴィル・プポー(ロマン)に、その残酷なまでの孤独を感じる。しかし、あまりに美しいシーンでもある。生きるとは、自分の孤独をいかに消化し、昇華させるか、自分の中で折り合いをつけられるかどうか、なのだという気がする。私は自分の物語をきちんと読み切ることができるのだろうか。この本を閉じていてはいけないのだと焦燥感が募る。

それにしても、やっぱりメルヴィル・プポーは、いいなあ・・・。
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by yebypawkawoo | 2010-04-20 21:22 | ◆映画のこと  

『ドッグヴィル』・・・何が本当の正義なのか。

ドッグヴィル スタンダード・エディション『ドッグヴィル』 ラース・フォン・トリアー(2003)
2008年8月24日鑑賞


なんなんだ、この映画は。すごい。凄いの一言に尽きる。177分と、約3時間弱もの長編にも関わらず、真夜中に見たにも関わらず、まったくもって眠くならなかった。むしろ、時間がたつにつれ、意識は物語の中へと引きづり込まれ飲み込まれていく。いつもなら残り時間が気になり、映画館ならこっそり携帯を、DVDなら残りの軸の長さを、ついつい確認してしまう私なのに、一度も時計を見ることがなかった。

まず興味深いのが、場面の設定。舞台はドッグヴィルという、アメリカはロッキー山脈のふもとの小さな村、閉鎖空間。これを表現するのに用いられたのは、地面とそこに描かれたチョークの境界線。これは見なきゃわかんないね。こんな感じ。
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全部で9のchapterに分かれていて、その冒頭部では小説の章題のように、各Chapterを説明する文章が挿入されるのだけど、それによって次になにが起こるかが分かってしまうにもかかわらず全然飽きることもないのは、この映画で描かれているのが、きっと誰もが持っている人間の嫌な、でも本音レベルで全然あり得る感情とそこから生まれる行動だから。自分の嫌な面を突き付けられた時、そこから逃げるのか受け止めるのか。なにが起こるのか私は目が離せなかった。分かっていても、本当にそうなってしまうのかを確かめたかった。きわどく不快な行動にだって、自分ならそうしないなんて、全然思えなかった。それは私が、映画の鑑賞者という神の視点を離れて物語の中におりたった瞬間から。

この物語で演じられるのは閉鎖社会の恐怖、のように私には思えた。閉鎖社会といったのは、その名のとおり狭く閉ざされた空間、という意ではなくて(もちろん、それも含まれるのだけど、)ひとつの価値観やあるいは文化を形成し共有する集合体、ということ。小さくは家族だってそうだし、大きくは地球ということもできる。地球に住んでいるということによって生まれる常識を我々はある程度共有していて、それは外部から見たら非常識でありうる。一人ひとりの意識や感情は、共通項を見つけて大きくなっていき、結果として意思をもった生命体のように蠢いていくことは往々にしてある。個を見れば些細なことがマスとなると何倍にも強大化してしまう。その恐ろしさが如実に表れている。ひとたび部外者という認識を持った時、人はきっと、何だってできるんだ。どんな、残酷なことも、手ひどい仕打ちも。

何が正義で、何が悪なのかということを考えさせられる。ニコールキッドマンの最後の選択は、善悪でも正誤でも語れなくて、でも彼女がその決断の前に考えたことには共鳴させられた。結局行きつくのは、自分にとっての正義が何か、でしかないのかなと思って、少し虚しさを覚える。いつだって、大多数が正しく、権力者が強く、それは正義の力が強大化するからなのだ。そんなの間違っている、という意見が強くなるならば、そう思う人の母数が増えたという話。それならば私は、私にとっての正義をきちんと見つめ、考え、それに従って行動するしかない。
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by yebypawkawoo | 2008-09-13 00:43 | ◆映画のこと  

『レオン』・・・孤独を抱えたふたりへの共感

『レオン』 リュック・ベッソン(1994)
2008年4月27日鑑賞

レオン 完全版 アドバンスト・コレクターズ・エディション

わたし、この映画どうしたって好きなんです。
初めて見たのは、小学校の時だったような気がする。映画館に見に行きたくて(なぜだかピンときたのだ)、でも田舎だった地元の映画館では上映しなかった。だからビデオ化するのを待って。借りて帰って家で見た。泣いた。それからもう、何度も見てる。

ずいぶんと久しぶりにまた見たくなって、TSUTAYAで借りてきた。もう泣きはしなかった、けれど、やっぱり大好きだった。ナタリー・ポートマンのかわいさと色気。あの歳でゲイリー・オールドマンに並んで遜色ないんだもんね、すごい。ゲイリー・オールドマンはもちろん、狂った警察官を見事に表現してる。小学生だった私に気持ちの悪く怖い人としてインプットされてしまうほどですもの。ストーリーはべたべたなんだけど、でもリュック・ベッソンはやっぱりすごいなぁと思う。今見たって、ぜんぜん古臭いと思わない。

ものすごく好きなのは、ナタリー・ポートマンが買い物から帰って着て、我が家の惨殺風景を目の当たりにしながらも家の前を何食わぬ顔で素通りし、ジャン・レノの家をノックする、泣きながらノックする、あのシーン。そして、ナタリーがジャン・レノと、有名人当てっこをする、かわいらしくも切ないシーン。

まだ幼いナタリーの、絶対的な孤独に、わたしはきっと共感している。家族を見切ってしまうほどの孤独と痛いほどの強さ、でも弟を唯一のつながりとする心の弱さとそこにある愛情、ジャン・レノに対して芽生えてくる気持ちと、最後にやっぱり一人になってしまった切なさ、そこからきっと生まれたはずの絶対的な何か。そういうものがいちいち、私のツボなのだ。
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by yebypawkawoo | 2008-04-29 23:39 | ◆映画のこと