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優れた本の条件

ここ数か月、読んだ本に線を引くようにしている。線を引く箇所は、単純にこの表現いいな、という場合もあるが、大体が自分の琴線にふれた言葉・文章、言い回しだ。

線を引くことにした理由は様々あるのだけれど、ここ数か月の読書を振り返ってみて、自分がどういう内容に気持ちを動かされるのか、どんな表現が好きなのか、といったことが分かってきた。というのは、読書全体を通した自分のカンどころというか泣き所というか・・・がある程度俯瞰して見えてきたから。これは当初の想定外ではあったが、ひとつの大きな収穫だ。今までの「なんとなく」読書ではわからなかったことだ。一方のデメリットは、新古書店に読了本を売れなくなってしまったことか。本はどんどん増えていくがゆえ、私の生活空間は圧迫されゆく一方通行の道をたどるのみ・・・。(本を売るのは平気なくせに、捨てるのには抵抗を覚える)

それで、振り返ってみて改めて気づいたこと。は、良書(と私が考える書)、あるいは良い表現というのは、一般論にきちんと落ちているものだ、ということ。対して、小説の中のあらすじ・ストーリーは、自分の良書判断にはほとんど関係ないことがわかってきた。ストーリーがどんなものでも、そこから導き出された個人的普遍論、つまり全ての人に当てはまるわけではないかもしれないが、多くの人の行動や感情をパターン化して(哲学化してとも言えるだろうか)表現した言葉や理屈。あるいは、自分さまざまな個人的行動にあらゆる場面で通じる考え方。そういう、個人的普遍論、とでもいうべきエッセンスがあるかないか、が私の中での良書か否かの判断基準になっていたのだ。

この個人的普遍論とは、つまり自分にあてはめて考えることができる言葉だ。これらを読んだとき、小説内での主人公の、私の現実ではとても起こりそうもない、非科学的な、あるいは突拍子もない、環境依存度の高い・・・、行動の数々が、瞬時に自分事化される。この瞬間を求めて私は読書をしているだという気がする。


あまりに現実的で詰まらない話ではあるのだけれど、これは恐らく実生活でも言えることで、たとえば仕事の場において、自分の経験知をあらゆる案件に応用できるように、自分の中で普遍化できる人、というのは仕事ができる人と言えると思うのだ。仕事のような、実務的な話だけではなくて、個人的体験を基に帰納法的に昇華させた人生のエッセンスのようなものを持っているかいないかは、彼・彼女の生き方の幅や深さを規定しうると思う。少なくとも私が話していて面白いのは、断然、自分の話ができる人だ。個別具体論ではなく、個人的普遍論としての。

そういうわけで、私はもっと考えないといけないと思う。他者の論理ではなく、自分の論理が必要なのだ。机上の空論ではなく、自分の固有の経験から生じ"させ"た、自分専用の論理が必要なのだ。頭でっかちな独りよがりな論理では意味がなく、そうではなくて、普遍的である必要がある。でも、個人体験に基づいていることが重要なのだ。私のこれまでの数十年間の時間の積み重ねの中から、もっと導き出せることは多いはずなのだ。だから、私はもっともっと考えなければならないと思う。

自分の体験の普遍化と、それを通した固有体験の共有・公開、それら全てによる昇華を経て初めて、自分と、もしかしたら他人の救いが得られるのではないかという気がする。優れた本とは、つまりこういうものなのではないかと思う。
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by yebypawkawoo | 2009-05-16 01:59 | ◆考えたこと