<   2008年 10月 ( 11 )   > この月の画像一覧

 

『地下街の人びと』・・・39度の高熱をだしたときの、あの感じ。

地下街の人びと (新潮文庫)『地下街の人びと』 ジャック・ケルアック(新潮文庫)
2008年10月30日読了


訳者あとがきより
ケルアックは意識によることばの検閲を排除し、無意識の領域を掘り起こそうとする。ものすごい速度でタイプを叩きながら精神から湧き出ることばの泉を汲み取る。そしていったん記録されたものを決して推敲したりしない。

これを読んで納得。スピード感あふれる文章だった。というよりも、感覚、色彩とか触感とかそういう感覚が先行していくような文章。思考が文章に追いつけていないような、下り坂で走っていたらスピードがつきすぎて足が絡まっちゃって、でもそのまま走り続けてる、というような、そういう文章だと思った。

ビートニクと呼ばれていた人達の日常を描いた作品ということだけれど、1秒1秒の時間が濃い。主人公レオの視点を通してみる世界は、まるで魚眼レンズを覗き込んだようだ。ゆがんで膨張されて、個人の側にひどく偏っている。でもらりってるときってこんな感じ。高熱が出ているときの、あの感じ。ケルアック本人が、ドラッグをやりながら本作をかき上げたこととは無縁ではなかろう。

こういう作品を読むと、原文で読みたいと思う。訳者の訳はどこまで原文のリズムを語感を表現しているのだろうか?あるいは補強しているのだろうか?

途中で積読仲間入り中のバロウズ、『queer』も早く読まないと。
[PR]

by yebypawkawoo | 2008-10-31 00:51 | ◆本のこと  

独り言(メモ)

「悪よりましだと思って偽善かもしれない善をふりまいている」と言い切る人がいた。

うわー目から鱗だ。

わたしはこれまで、
「偽善と思われるくらいなら悪だと思われたっていいや」という考えで、
もっと言えば、
「わかる人だけわかってくれればいいや。少なくとも私自身はわかってるし、自分に恥ずかしくはないし」という考えで、押し通してきていたから。

偽善と思われてもいい、
という考え方には思い至らなかった。
うわー愕然。

だって、その考え方を元にしても最終的な自分の着地点=他人にどう思われたっていいや以下、は変わらないわけだよ。

であれば、行動そのものが引き起こす結果をもっと重視すべきなんじゃないか。
とすれば、善であろうとすること、そういう行動をとることのほうが、いいんじゃね?
とも思う。

そこまで思い至らなかった理由もあるといえばあるのだけど、今にして思えば言い訳に聞こえるなぁ。
[PR]

by yebypawkawoo | 2008-10-18 17:37  

『異邦人』・・・自分に対して誠実で正直であることを、選びとる過程が抜けている。

異邦人 (新潮文庫)『異邦人』 カミュ(新潮文庫)
2008年10月10日読了


あぁ、私は異邦人だなぁと思う。私は、他人に迎合してうまく取りつくろっているだけじゃんと思われるくらいなら、ムルソーのように自分に正直で誠実であることで死刑となるほうを選びたい。ムルソーは何の悪気もなく、自分に対して誠実であるだけで、おそらくそれは他人に対してもそうなんだと思う。あくまで彼の考える誠実、だが。

ママンの死に涙せず、マリイに愛してる?と聞かれ「それは何の意味もないことだが、おそらく愛していないと思われる」と答える。正直なのだ、そして誠実なのだ。それだけだ。

―結局において、ひとが慣れてしまえない考えなんてものはないのだ
―私はこのように生きたが、また別な風にも生きられるだろう


この一歩退いた視点と、達観したかのような態度が、おそらく周りの人々の気に入らないのだ。

真実なんていくつでもあって、物事の破片破片に紛れているものだから、それを取り出して、少し加工し、個々人の価値観に合わせ(るように見せかけ)てやれば、それだけで誰もが安堵するのに。ムルソーはそれをしない。それをしようという発想がそもそもない。たぶん、面倒くさいんだ。それをすることに、常人以上に労力を使う人なのだ、たぶん。真実はわずかな一片だけを取り出せば、偽りになる。みんな、自分の好きなように解釈するから。消極的な嘘。だけど綿は、それで作られた幻影の私を、自分の中に見られるのは嫌だ。だから、積極的にあえて何も言わない、そういう選択肢だってある。

人は、解釈できない事実を突きつけられると混乱し、嫌な気分になるので、蓋をする。そういう厭らしさって、たぶん誰でも少しはもっている気がする。ムルソーのように蓋をされる道を選ぶということは、絶望でも無気力でもない。積極的に正直なのだと思う。

だけど、彼は非常に独りよがりでもある。ここまで、自己完結してしまうと、他人の入る余地がない。だから、周囲の視点に立つと非常に寂しく感じる。結局ムルソーは、自己中なんだ。自分に誠実だけれど、他人に対して誠実ではない。今度は、他人の視点から見る誠実。あそっか、つまり私もそういうことか。

他人がどう考えるかということを常に念頭に置き意識した上で選択したムルソーの行動とは思えない。そこが、私が唯一彼に対し、残念ね、と思う点(他人に対しては客観的になれる)。どこまでいっても、例え最終日に大勢の見物人が憎悪を持って彼を迎えたとしても、自分の視点のうちにとどまっている限り、あなたはきっと孤独だよ、ムルソー。
[PR]

by yebypawkawoo | 2008-10-15 23:50 | ◆本のこと  

『ラスト、コーション』・・・偽りの中で生まれてしまった愛情も、本物だと思う。

ラスト、コーション『ラスト、コーション』 アン・リー(2007)
2008年9月21日鑑賞


『ラスト、コーション』で描かれるのは、トニー・レオンとタン・ウェイ演じる二人の、恋愛ごっこだ。二人の間にあるのは、異様な状況から生まれた仮初の恋愛だ。だけど、壮大で真剣で命がけなそのごっこ遊びの、嘘くささの中に飲み込まれていく二人の間には、確実に愛が存在したのだと思う。偽りの愛だったのだとしてもそれはそれそれとして本物だ。

恋愛は、その状況に酔っていく、というようなところがあると思う。なにも変わり映えしない平凡なシチュエーションが続くという状態では、長続きしないんじゃないだろうか。自分と相手の二人では成り立たなくて、自分と相手とそれを取り巻く状況の3者があってこそ成り立つ。状況が、非常であればあるほど、興奮は大きくなる。

恋愛は、執着だと思う。相手に対する執着心が、恋愛の興奮をさらに助長するのだと思う。そして執着は思い込みだ。自分を非現実の妄想の世界へと追い込んでいく、その過程が狂気だ。だけど、穏やかな恋愛こそが最高だ、なんていう人を私は信じない。表面上穏やかでも、内心に狂気をはらんでしまうのが、本物なんじゃないかという気がする。人は、恋愛初期のときめきが7カ月しか持続しない、という話を聞いたことがある。毎日晴天の恋愛ならば、さもありなん。穏やかに見えても、内情は怒涛の嵐だという状況が、恋愛を長続きさせるんじゃないかだろうか。

その上で、恋愛に常に必要なのは、客観的視点だ。そんな暴風雨に飲み込まれている自分を、雲上の安全地帯から眺めるもう一人の我を常に持っていたい。そして、相手に接するときは、雲上の自分を持ってくるのだ。内に嵐を秘めた状態で。時に決壊する堤防は、もしかしたら、大地に肥沃をもたらすという意味で重要な場合もある。雨降って地固まるとはよくいった話。

『ラスト、コーション』は恋愛ドラマだ。トニー・レオンとタン・ウェイの二人が演じる男女の、駆け引きと、嵐と、堤防の決壊を描いた物語だ。二人はその異様な状況に、それぞれ確実に酔っていたし、だからこそあれだけの激しさで惹かれあったのだと思う。雲上からそれぞれを見落ろしているつもりで、気付かないうちに落下していたのはお互い様だ。ラストの、宝石屋さんでのシーン。そこでお互いが、嵐の中に落ちていたことに気づいてしまうのだ。切ない。

タン・ウェイの、強い信念を持って一途に職務を全うする中で植えつけられた憎悪と、それに抗うように無意識に発生してくる愛情との駆け引き。そしてトニー・レオンの抱える圧倒的な虚無感や冷徹さと、非常に純真無垢ともいえる愛情との対比。凄い。その軸を支える、細かな描写もうまいなぁと思う。二人の絡み合うシーンや、女たちの麻雀シーンや。話題となったベッドシーンも、厭らしさは感じなかった。痛々しく、美しかった。
[PR]

by yebypawkawoo | 2008-10-15 23:49 | ◆映画のこと  

アルフとは、Alien Life Form(地球外生命)の略。


 以前のエントリで、海外ドラマ『アルフ』のことを、
 間違って『アルフィー』と書いたのは、私です。

 そのことを指摘され、あわわと恥ずかしい気分になって、
 やぶれかぶれでもう一度『アルフ』が見たくなった。
 こんな、うわぁはずかしっ!て時でもアルフなら、
 「はっはっは~」って軽快に笑い飛ばすに違いない。



「はっはっは~」
この、こ憎たらしいキャラ、実生活でもどっかで見た気がすんなぁ。



うわーん、なつかしい。
アルフと言えば、所ジョージの声とオープニング曲。英語版ではダメなのだ。
日本語版は、希望する声の多さにも関わらずビデオ・DVD化されていないし、もう見ることはできないかと思ってました。らば、なんとタイムリー、ちょうど10月から、NHKで再放送やってるみたい。
誰か、ひきつづきyoutubeあげてくれないかな。世の中便利になりました。
[PR]

by yebypawkawoo | 2008-10-13 23:38 | ◆日々のこと  

『本格小説』・・・一気に小説世界に引きづり込まれる、久しぶりの感覚。

本格小説〈上〉 (新潮文庫)『本格小説』 水村美苗(新潮文庫)
2008年9月23日読了


素晴らしい小説だった。一気に読んでしまった。そして、全く読み終わりたくなかった。先が早く知りたいけれど、まだ終わってほしくない。こういう気分になったのは、本当に久しぶり。小説って、こういうものか、こういうものだったのか、はぁぁ素晴らしいね、って誰かに伝えたい気分。

―頭の中に「本格小説の世界」っていう小部屋ができたみたいな読後感。

いしいしんじが『三崎日和』の中で、本書についてそう語っていたが、うまいこと言うなあと思う。本当に、小部屋ができた、私の頭の中にも。

『本格小説』は、ひとつのくくりでは説明しきれない。カテゴリに納まりきらない。いろんな側面を併せ持った、細やかで大味な、セピア色だけど新しい、そういう小説だ。これはまぎれもない純文学で、読むと価値観を揺さぶられるような奥深さがある。けれど、エンターテイメント小説でもあって、話それそのものとしての面白さを十二分にあわせもっている。そして、日本語がすばらしく美しい。いい意味で古風な、昔からの日本語の美しさだ。と同時に、全く新しい小説でもあって、壮大なフリ、実験的試みがなされている。

この小説ははたして私小説なのか?どこからどこまでが本当で、いや、それとも全くのフィクションなのか?そんな疑問がわき起こってくる。けれど、その疑問の答えはどうでもよくて、そう思わせた時点でこの小説の、水村美苗の勝ちだ。それは、この小説にほどこされた仕掛けだけではなくて、圧倒的な筆力と壮大な物語性に裏付けられているのではないかと思う。うにゃあ素晴らしかった。拍手。
[PR]

by yebypawkawoo | 2008-10-09 23:52 | ◆本のこと  

うわぁ気持ちよさそう。

すごいものを見た。

東横線自由が丘駅のホームから改札に降りる階段の中腹で


下に向かって放尿する男性。

と、みるみる流れ落ち広がっていく水?たまり。


人間、酔っぱらうとこんなこともできちゃうんですね。
複数の駅員さんに見守られる中、
きっちりしまうものしまって、ベルトを締めて、
さぁ連れて行かれるかと思いきや。
駅員さん、そのまま放置プレイ。

彼のためにも、このまま我に返らないことを祈る。
アメン。
[PR]

by yebypawkawoo | 2008-10-08 01:20 | ◆日々のこと  

そうだ、エイズ検査へ行こう。

以前の職場の後輩の男の子は、
かつてHIVポジティブの女の子と付き合っていた。

セックスとかどうするの?と不躾な質問を投げかける私に、
普通にしますよ、と答える彼。
そりゃ、最初は怖かったけれど、正しい知識があれば大丈夫です。
でも、検査は3回受けましたけどね。感染はしませんでした。

それから色々、エイズについて教えてくれた。
いわく、日本には感染していることに気付いていない人がものすごく多いんだ、と。
「少しでも、感染してないと言い切れないのであれば、絶対検査受けたほうがいいですよ。」

絶対感染してません、なんてちっとも言い切れない私は、
なんだか恐ろしくなって、すぐに検査機関を調べた。

最近は、地方での中高年の感染者が増えているんだそうな。
閉経後のゴムなしSEXと、ザ・閉鎖空間=田舎のご近所の目がその原因なんだとか。
閉経後のゴムなしセックスって、なんだか生々しくって異様に現実味あふるる感じ。

突然前の恋人から電話がかかってきて、
「性病検査でひっかかったから検査したほうがいいよ、じゃ」
と言われたことのある友人の話。
最初は、はぁ?と思ったけどすぐに検査にいったそう。
うつされたれたのは迷惑だけど教えてくれてありがとう、だそう。

待合室で、結果を待つ。
もしも自分が感染していたら?どうするんだろう?
なんて、やっぱり考える。
いつ?誰から?誰に言う?誰かに言える?
結構真剣に考える。
これから私はどうやって生きていくんだろう。

交通事故で明日死ぬ可能性が普通に存在する毎日との対比を思う。
こういうことでもないと、考えることってなかなかない日々のありふれた生活。

人間自然淘汰説を無責任に語ってしまう私だけど、
それが個の問題となるとやっぱり違う考えを持つ。
矛盾しているわけではなくて、本当にそう思うのだ。個とマスは話を語る世界が違う。

舞城王太郎の『好き好き大好き超愛してる』を、もう一度読みたくなった。
[PR]

by yebypawkawoo | 2008-10-07 00:02 | ◆日々のこと  

『Vフォー・ヴェンデッタ』・・・マンガ的世界に感じた、現実味。

Vフォー・ヴェンデッタ 特別版『Vフォー・ヴェンデッタ』 ジェームズ・マクティーグ(2005)
2008年9月23日鑑賞


見終わっての感想は、「面白く(interest)読み応えのあるマンガを読んだ後みたい」。内容の濃い漫画って、読み終えたあとものすごい充足感があったりするじゃない。そういう感じ。

聞けば、原作は漫画だそうで、どうりで。けれど、原作漫画の映画って、実はわたくしあまり面白い(funではなくinterestね)と思ったことがない。スパイダーマンもそこまで来なかったのですよね。たぶん、設定が非現実的なところがネックとなり、“あり得ない”話前提として見てしまうから?かなぁ。そんな私をもってして、面白いと思ったこの映画。理由は何でだろう?と考えて、それは、全体主義対個人主義の構造に共感したからなのかもしれない、と思う。

強い信念を持ち続けられる人には、それが正しいか否かは別として、私は尊敬の念を抱くのだが、そういう意味ではVは凄い。自分の意思が明確でそれが揺らがない。その彼に触発されゆく国民たち。国家が正しいのかVが正しいのか、あるいは両方間違いなのかは、その時代時々で違うし、だから最後の国民の行動に感動はしないのだけど、ナタリー・ポートマンにはなんだか感じ入った。(たぶん、もともと彼女が好きだから、というのは大きな理由、とはいえ)彼女はVを批判もするし、自分で考えて意思を持って動いている。

ひとりひとりが何の意思をもつか、なぜその意思をもとうとするのかが重要だと思うのです。与えられた境遇を前提として受け入れるのではなく、そこに疑問を呈することができるか否かだと思うのです。そうじゃないと、国会議事堂爆破後の世界だって、たいして変わりはないんじゃないかと思うのよね。
[PR]

by yebypawkawoo | 2008-10-06 21:30 | ◆映画のこと  

たとえば、コンパで出会った人の友達が、自分の友人でもあった時の親近感。

新宿ジュンク堂の保坂和志フェアにいかねば。

たまに本屋さんでやっている、作家の本棚再現企画。あれは面白いと思う。

わたしには悪癖があって、どんな本を読んでいるかで、ある程度その人の人となりを判断してしまう。それだけじゃあ何もわかりはしない、とわかっていながらほぼ無意識にやってしまう。(でもこの感覚、ある程度の読書家であればたいていわかってくれるんじゃないかしら)

そんな私は、恥ずかしいので自分の本棚は人に見られたくない。「へーこういうの読むんだ。ふ~ん。何かわかる気がする」なんて言われた日にはもう、恥ずかしさのあまり一発殴りたくなる。(自分はよく言ってる癖にね)でも他人の本棚覗く時は別。嬉々として観察の悪趣味万歳。

で、作家フェア。
ただの知人の本棚みるだけでも内心わくわくなのに、いわんや、である。自分の影響を受けている作家の読んでいる本達。前提が好意的だから、え(濁点)?な本があってもたぶんがっかりしない。本人が“作者”であることが、わくわくに拍車をかける。なぜなら、そこには我が家の本棚の先にひろがる世界がある。気付いていなかったつながりが見えるに違いなく、二重構造の面白さがある。

私は知らない町を迷子になりながら散歩するのが好きで、それは、それまでただの風景でしかなかったものが立体として浮かびあがってくる変化が面白いからだ。外部は変化しておらず、変わったのは私の意識、内面だけ。そういう、意識的世界でのつらなりや変化で私の世界は成り立っていて、それが他人の意識的世界とリンクしていく感覚。

共感、というのは恋愛における重要なファクターのひとつだと思うのだけど(だから恋愛初期はいかに共感を演出するかが鍵だよね)それと同じ楽しみが読書にはある。主観の客観化による共有。連なっていけば、全然違う価値観をも共有しているかもしれない。

そういうわけで、新宿へ行こう。10月31日まで。
[PR]

by yebypawkawoo | 2008-10-06 17:58 | ◆考えたこと