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『パイロットフィッシュ』 と 『村上朝日堂』 についてぐだぐだ。

b0064811_23465779.jpgパイロットフィッシュ (角川文庫)『パイロットフィッシュ』 大崎善生(角川文庫)
2008年7月26日読了


大崎善生は、もともと将棋雑誌の編集者でした。
そんな彼が文筆家へ転向し描いた『聖の青春』(講談社文庫)。これは非常に良かった。村山聖という、29歳で亡くなった棋士の生き方を描いたノンフィクションなのだけど、スタンダードな感動を誘われる。若くして志半ばで亡くなるとか、病を抱えながらも強い意志をもって夢に臨むとか、天才棋士(と認められる)羽生さんとのやりとりとか。そういう感動スタンダード要素がぐいっと詰まっていて、素直に面白かった。人物記っていうのは、やっぱりいいね。

で、『聖の青春』を読み終わった私は、向かった新古書店にて100円で売られてた『パイロットフィッシュ』を購入したのでした。こっちはフィクションね。なんだろ、ちょっと作りこみ感、というかわざとらしさ感というか、がほんのり薫るのだけど(それは、私が歳をとったからかも)、それはそれとして受け流せばなかなかに面白かった。出てくるセリフや言葉の中には、いいこと言うなぁというものもいくつかあって、ただそれらのつなぎ合わせがちょっと物足りない感じはしたけど。

だけど、ここで言いたいのはそんなことではなくて。

『パイロットフィッシュ』を読み終わった私は、同じく新古書店で購入していた『村上朝日堂』(新潮文庫)を読みだしました。『村上朝日堂』に、ビーフカツレツのくだりが出てくるのだけど、それがもうなんつうか美味しそうで美味しそうで。この件をふと思い出し、読みたくなったものの、なぜだか家にない(しかもこの号だけ!)!というわけで買ってきて、読んでいたわけです。

そうしたら、なんだかこの設定、『パイロットフィッシュ』でみたなぁていうのが、ぽつぽつあるじゃないですか。最初は、別に気にしてなかったんだけど、あれ、ここにも、ここにも。となってくると、もしかして大崎善生は、『村上朝日堂』を読みながら、あるいは意識的に設定として利用して、本作を描いたんじゃないかしら?なんて邪念が浮かんできた。

たとえば、
 村上春樹は、学生時代、都立家政の3畳4,500円の激安アパートに住んでいた。
   ↓
 本作主人公は学生時代、都立家政の安アパートに住んでいた。

 村上春樹は学生時代、新宿のレコード屋でアルバイトしていて、後年ジャズ喫茶を開いた。
   ↓
 本作主人公は学生時代、新宿のロック喫茶でアルバイトしていた。

 『村上朝日堂』に大韓航空機がミグに撃墜された話がでてくる。
  ↓
 本作主人公を気に入って面倒見てくれたマスターは、同航空機に乗っていて亡くなった。

いや、二人とも学生時代がそういう時代だったとか(8歳の差はあるけれど)、あるいはたまたまとか、そうなのかもしれないのだけど。

けれど、ふと思ったのでした。小説也何なり、創作するときって言うのは、その材料はどこから出てくるのだろう?って。完全なるオリジナルを作れる人なんてそうそうそうそういない。だから、多かれ少なかれ人は記憶(自分の経験)やあるいは他人の経験や、そういう記録やもろもろから部分的盗作を行わざるを得ないわけで。すべてはその組み合わせでしかないなんて、さみしすぎると思っていた若かりし頃、今ではすっかり私も盗作まみれです。特に仕事においては。それも、意図的に。効率重視、そうかもしれない。それでいいのかもしれない。

でもなんか、違う気がするんだよなぁ。盗作するにしても、一旦自分で飲み込んで消化してからぐだんぐだんになったものを再度構築するっていう、そういう過程をすっ飛ばしちゃあいけないと思うのよ。ちょっとお手を拝借って具合だと、違和感が残るのだと思うのだよ。

実際、本作の設定が、『村上朝日堂』に関係あるのかないのか、そんなことはわかんないけど、本作、なんだか惜しいというか若干のうすっぺら~感が感じられたのは、ひょっとしたら何か関係あるのかないのか。

何はともあれ、『聖の青春』はお勧めです。
聖(さとし)の青春 (講談社文庫)
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by yebypawkawoo | 2008-07-29 23:48 | ◆本のこと  

『モーターサイクル・ダイアリーズ』・・・経験にまさる見聞はないのだと思った。

モーターサイクル・ダイアリーズ 通常版
『モーターサイクル・ダイアリーズ』 ウォルター・サレス(2003)
2008年7月4日鑑賞


良い映画でした。

経験に勝る見聞はないのだと思った。本で読んで、映画で見て、感じることや学ぶことも多いけれど、やはり実体験に勝ることはないのだと思った。旅に出た時の、感覚がぶわっと蘇ってきて、それは決して3泊5日のパック旅行じゃ味わえない感覚。自分で動いて話しかけて、感じないとわからない感覚。それだけですべてを理解することは困難だけれど、(特に私(日本人)は言葉の壁があるので)、そこには言語を超えた共鳴が存在する気がする。そういうことを思い出した。

感じることは、たぶんただ考えることよりも偉大で、それをうまく言語化できなかったとしても、それがその後の人生を決定づけることがある。感覚だけで生きるのは、周囲の理解を得にくいという点において大変だけれど、そこから生まれる行動によって周囲の共感を得ることも可能なのだなと思う。けれどその行動は、ただ動くというだけでは無意味で、圧倒的なオーラというかエネルギーというか、そういうものが伴っていないといけない。想像を凌駕するような、感情の共鳴が巻き起こるような。ストーリーが必要なのだと思う。ストーリーは、先にあるのではなく、後からやってくるのだという気もする。

チェ・ゲバラの人生の始まりが特殊だったわけではないのだと、けれど彼はこの旅で確かに何かを感じ、そこから何かを考え始めたのだと、始まりは特別でなくてもいいのだと、そう思った。
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by yebypawkawoo | 2008-07-13 22:30 | ◆映画のこと  

『アムステルダム』・・・運命と言い切りたくない。だって自業自得でもあるじゃん?

アムステルダム (新潮文庫)『アムステルダム』 イアン・マキューアン(新潮文庫)
2008年7月1日読了


今日から下半期スタート。そして私は、新しい生活が始まった。久しぶりの通勤電車で、読み終わったのが本作。でも、通勤電車で読む本じゃないな、これ。

近頃、『贖罪』が映画化されたイアン・マキューアンだけども、私はこれが初めて。なんつうか、イギリスっぽい作品。英文学という感じ。とか思っていたら、ブッカー賞受賞作でした。それじゃあ、英文学ってどんなのよ?と聞かれたら、うまく言語化できないのだけども、それはもう少し作品を読んでから、ということにしましょう。

本作、モリー・レインという一人の女性が不幸な死を遂げてから、彼女と関係のあった元愛人3名と夫との、計4名の男性が運命に翻弄されていく様を描いた作品。今、運命に翻弄されていく、なんて薄っぺらい言い回しを使ってしまったけれど、運命なんかじゃなく、彼らはただ自らの行動の結果を受けているだけだと思う。このモリーって女性、相当いい女だったんだろな。人間の厭らしさを知っていて、なおかつそれを受け入れ愛することのできる女性だったんだろう。彼女に甘やかされた男性4名は、彼女がいなくなったことが影響しているのだろうか、自分の厭らしさに対する自己嫌悪と自己弁護に歯止めが利かなくなっていく。もう終わりのほうは、全然自分を客観視できていない。しているつもりで、超色眼鏡のフィルターがかかってる。自己保身の。ここにモリーいたならば、あぁ、結末は異なっていただろう。けれど、モリーがかつて(彼らの甘えを享受する者として)存在したからこそ、そして、同時に、最後に至るどこか一瞬のすきまにでも存在していなかったからこそ、最後の悲劇がおこってしまったわけでもある。これは運命?悲劇?ある意味では。けれど、私はこれを運命と呼びたくない。自己責任のもとに回避できる出来事だから。

話自体は、そんなに新しいというわけではないけれど、心の中の葛藤の描写だとか、自然の中を歩くときの周りの風景と自分の心身との関係性の移り変わりだとか、人が心のうちで過去の出来事に対して結論付ける時の思考の変遷なんかの描写は、うまい!!そんなに心惹かれる、面白い!という話でもなかったが、彼の作品はそれ毎に毛色が全く異なると聞くし、他も読んでみたいなぁと思う。
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by yebypawkawoo | 2008-07-01 23:34 | ◆本のこと