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『Lock, Stock & Two Smoking Barrels』・・・映画の面白さって、ストーリーだけじゃ語れないんだな。

ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』 ガイ・リッチー(1998)
2008年6月鑑賞


そうそう、映画ってこんな風に見ながらわくわくするものだった!って、なんだか久しぶりに思い出した。そこがここにつながって、ここがあそこでこうなって、それがあれでこれなんだ、わぉ!って見ながら分かっていく感じが実に爽快。

話自体は、麻薬とお金をめぐって、色んな男たちが交差する、盗んでは盗み返し、銃を撃ち合う、死体が沢山、というそれだけっちゃそれだけのものなんだけど。構成がすごい。そして、映像・音楽がかっこいい。前半から後半にかけてぐんぐんスピードが上がっていく描写に目が離せない。読書では味わえない感覚と言いましょうか。映画ならではな表現を堪能できました。

友達の男の子が、まったく別ルートから二人もお勧めしてきたので見てみたのだけど、ああなるほど、男の子は好きだろなと思う。登場人物も男性ばっかり。色恋なんて一切なし。でも、このスピード感、女の子でも十分楽しめると思うよ。
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by yebypawkawoo | 2008-06-29 23:34 | ◆映画のこと  

『河岸忘日抄』・・・ためらいを否定しない人生観もあるのだということ。

河岸忘日抄『河岸忘日抄』 堀江敏幸(新潮文庫)
2008年6月11日読了


すごく、沁みてきた。主人公の生き方に対する考え方が、淡々とした文章を伴って、じわじわとしみこんでくる感じ。久しぶりにひどく共感でき、人に薦めたいと思える小説だった。

主人公の「彼」は、日本での忙しく消耗する日々を清算し、フランスのある河岸に滞留する船の中で暮らしはじめる。外界とのつながりはすべて受動的で、その船の大家、郵便配達夫、時たま船に遊びに来る少女、そして日本に住む友人枕木さんとのFAXのやり取りのみ。船上(中)で、ただひたすら読書と自炊とを繰り返し続ける彼は、淡々と穏やかに生活をこなしている。ように見えるけれど、その内面では思考が渦巻いている。ゆるやかに、けれどその幅は広く深い。そして、ひたすらに誠実だ。

「あいまい」という状況に停滞することの難しさを「彼」は考える。「ためらい」は一つの決断でありうることを、いや「決断の集積そのもの」であることを考えている。「受け身」を重ねてできた姿は、一つの個性であると考える。「彼」の言う受け身は、そのまま“受けるだけ”の身ではなくて、考え続けることなのだと思う。そして「彼」は、即答しないことを信条としている。自分に対しても他人に対しても、非常に誠実だ。確かに、今の日本においては受け入れられがたい性格の彼である。だけど、こういう人とこそ、私は知り合いたい。友人になりたいと思う。

また一方で、この小説は「彼」の考え方のみを押し売ってくるわけではない。そこが堀江敏幸の小説のもつ客観性だと思う。彼とは意見を異とする大家や枕木さんの考えも非常に丁寧に描かれている。それらの意見に対する「彼」のあり様がまた、私には素晴らしいと思える。世の中には色々な考え方があり、そのどれもがたぶん間違っているということはなく、ただそこにあるのは“私はどう思うか”“あなたはどう思うか”の差だけだ。その差を認められるということを、私は大切にしていたい。「彼」のような自分や他人に対しての客観性を常に持っていたい。

いつか異国の地で、この「彼」のような生活をしたいなぁ。市場で卵を買って、オムレツを作って、クレープを焼いて、スグリのジャムをぬって、コーヒーをいれて。ご飯の描写が何だかやたら美味しそうなのも、この小説が好きな理由のひとつ。もしかしたら、今ある意味で生活を停滞させている私だから、一過性でしかないとわかっている「彼」の生活に対する共感が深かったのかもしれない。けれど、人生は一過性の連続であり、それだから楽しめるのだとも、私は考えている。
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by yebypawkawoo | 2008-06-26 14:56 | ◆本のこと  

『私の秘密の花』・・・まずは自分に不都合な状況を認めること。それが重要。

私の秘密の花
『私の秘密の花』 ペドロ・アルモドヴァル(1995)
2008年6月26日鑑賞


アルモドヴァル作品は、今のところ私の中ではずれがない。いつも、前知識がほとんどない状態で鑑賞する。最初の数十分間、ストーリーがつかめず、話の展開がわからないことも多いのだけど、見終わった後に思い返してみれば、そのつながりにはっと気づいたりもする。

本作は、マリサ・パレデス演じるロマンス作家のレオが、ある種の心身喪失状態になっているところからスタートする。そこに入る前に、お得意の劇中劇の伏線があるのだけど、まぁそれは置いておいて。レオは心神喪失状態といっても、傍目にはそれとわからない。普通に日常生活を送っているし、いたって普通に見える。けれど、夫との関係が破綻していることに気づいていない、本当は気付いているんだろうけど気づきたくない、だから気付かないようにしていて、けれどもひどくそこに固執してしまっている。友人の忠告や、母親との会話、編集者との関係の中で、それをきちんと認め、そうすることで段々とまっとうな、本来の自分、つまり一つのことに固執しているような状況から抜け出していく、というお話。

恋愛にしても何にしても、こういう状況に陥ったことのある人には、このレオの状況がよくわかるんじゃなかろうか。私はよくわかった。客観的には、この状況はよくない、とわかっているのだけれど、そこに蓋をして色んな言い訳を考えだす。いや、言い訳が考えだせる状態ならまだよくって、一心にひたすらにそればかりを考えてしまう。周りがどんなに心配しても説得しても、自分で“理解”し“認知”しない限り、そこを抜け出すのは困難だ。そのためには、何かきっかけが必要。そして、自分の周りに自分を好いてくれている人がいる、という状況。きっかけは、ほんの些細な瑣末なことでありうる。けれど、そんな瑣末なことだって、人の心を変えるには十分だったりする。どんなに小さな物事であっても、自分の起こした行動や発言が、他人の人生を大きく変えるかもしれない。例え、そう意識していない場合でも。そういうことをきちんと認識して生きていたいと思う。

最初の劇中劇は、脳死を認められない母親を医師が説得するシーン。その中で、医師は言う。息子さんは死んでいるんです。それを認めて臓器移植に同意してくれれば、5人の命が助かるのです。脳死は、自分を取り囲む負の状況、とも読み解ける。自分を否定する物事に出合った時、蓋をするのではなくきちんとそれを認めることができれば、そこから何かが生まれるのだろう。いや、こう書くと陳腐だし、つくり込みすぎな感もあるっちゃあるけれど、映画は結構良かったなぁと思う。
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by yebypawkawoo | 2008-06-26 01:58 | ◆映画のこと  

メモ

寛容は軽蔑の貴族的形態である。
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by yebypawkawoo | 2008-06-25 23:49 | ・書きかけのち編集  

『パーフェクト・ストレンジャー』・・・意外な結末、を創作することの難しさよ。

パーフェクト・ストレンジャー
『パーフェクト・ストレンジャー』 ジェームズ・フォーリー(2007)
2008年6月23日鑑賞


私は小説なら、エンターテイメントより純文学が好きで、賞で言えば直木賞よりも芥川賞受賞作のほうが面白いと思う。価値観をどこか転換させてくれるような、常識を疑うような、そういう要素があるものがすきなのだ。決して、サスペンスが純文学的要素が無いとは言わないけれど、ハラハラドキドキ系映画では、これまであまり「す、凄い・・・」という映画に出合ったことが無い。

そんなわけでサスペンスとかアクションものを見る機会がなかなかない、(というよりも積極的に良作を探してないだけかもしれないなぁ、反省)のだが、久しぶりに見たサスペンスものの本作。は、やはりそんな自身のイメージを覆すには値せず。私は、宣伝文句(ラスト7分で驚愕の事実がなんとやら、というやつ)を知らず、何の予備知識も無く見たのだけど、それでもそんなに驚くには値しない結末。想像できてしまうんだもんなぁ。これまでに作られた何万、何億というストーリーを背景に、それでも万人を驚かせるようなストーリーを作るってのは、もうなかなかできないよね。なんて、どこか覚めた目で見てしまう今日この頃であることよ。
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by yebypawkawoo | 2008-06-25 23:47 | ◆映画のこと  

『ティモレオン センチメンタル・ジャーニー』・・・滑稽でみじめで悪趣味で、でもすごく正直だ。

ティモレオン―センチメンタル・ジャーニー『ティモレオン センチメンタル・ジャーニー(TIMOLEON VIETA COME HOME)』 ダン・ローズ(中公文庫)
2008年6月13日読了


これは、ティモレオン・ヴィエッタという雑種犬と、その飼い主・イギリス人のコウクロフトの物語。何が面白いってうまく言葉にできないんだけど、面白かった。ひどく滑稽で、みじめで、ブラックで、グロテスクで、正直な話だと思う。

物語は2部構成になっている。
1部ではイタリアの片田舎の別荘に暮らすコウクロフトとティモレオン・ヴィエッタと、謎の自称ボスニア人の “ちぐはぐ” で “哀れ” で “滑稽” なやりとりが描かれる。そして2部では、そのボスニア人に捨てられたティモレオン・ヴィエッタが、健気にもコウクロフトの家をめざす途中ですれ違う、さまざまな市井の人々の “不条理” で、でも “正直” で “気持ち悪いけど気持ちいい” そんな人生の一部が語られる。

この物語には、いろんな人の愛にまつわる人生の一端が描かれていて、それは「犬と飼い主」だったり、「ゲイの老人とその契約愛人」だったり、「かつての恋人と今の自分」だったり、「やもめの大学教授と残された血のつながらない外国人の幼子」だったり、「冴えない警察官とその妻」だったり、普通に「恋人どうし」だったり、なのだけど、そのどれもが綺麗な美しい物語じゃない。すごく滑稽。でも、ひどく正直。正直な描写だと思う。自分ももってるエゴを見せつけられるかのようでやるせなく気持ち悪いのだけど、客観的視点で眺めた時の徹底的な惨めさ・正直さに気持ちよくもなる。

最後の最後まで皮肉に彩られていて、でもなぜだかすんごくかわいくもあるお話。もう、形容詞だらけで何が何だかわからない。でも、これこそが人生、な気もする。
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by yebypawkawoo | 2008-06-20 14:56 | ◆本のこと  

『春夏秋冬そして春』・・・経験してみなければ理解できないことは多い

春夏秋冬そして春『春夏秋冬そして春』 キム・ギドク(2003)
2008年6月19日鑑賞


本作は、一人のお寺に預けられた幼子が、その成長の過程で、生の尊さを知り、女の子を知り、嫉妬を知り、怒りを知り、殺意を知り、そういうものをすべて含有した上で、何か穏やかな境地に達していく、そういうものを淡々と描いた物語。

舞台は山間の湖に浮かぶ小さな小さなお寺を離れず、そこを訪れるほんの少数の人々との関係の中で、彼は人生における喜怒哀楽を知っていく。寺を取り囲む圧倒的な自然が織りなす四季は、彼の人生になぞらえられていて、一巡してまた春が巡ってきたとき、彼は老いて幼い頃の自分と逆の立場になっている。これから彼は、自分を見守ってきた和尚と同じような人生を、たぶんたどっていくのだろう。そう、思わせる作りになっている。人生は繰り返す。

映画自体は、非常にきれいにまとまっていて、描かれていることもしごく全う。映像はとても美しく、同じ東アジアだからか、自然の移り変わりや描かれ方は日本のそれとも共通する。西欧人なんかが見たら、きっと“東洋の神秘・美しさ”という風に映るのだろうな、という感じ。

だけどなんだろう、見終わった後、先生に諭されたような、偉い人の講釈を受けたような、そういう後味が残った。なんだか、理論だなと思う。綺麗ごとだなと思う。それが悪いのではなくて間違っているわけでもなくて、ただそういう事(生は尊いとか、激情に支配されてはいけないとか、行ったことの報いは自分に跳ね返るとか。言葉にすると陳腐だけど。)は自分で経験しないと実質的にはわからないだろうなと思うから。きっと、彼を育てた和尚も何かを負っていたのだし、彼も罪を負っているのだし、彼が育てていく少年も何かを犯してしまうのだろう。たぶん、人間は同じことを繰り返していく。過ちは、自分で犯してみないとそれとはわからない。

だから、「そして春」の段階の彼の境地に達した上でこの映画を見ると、迫るものがあるのかもしれない。でも、なかなか簡単にそういう境地には達せないのもまた人間じゃない?なんだか知らないけど、自分の手に負えない圧倒的な感情だとか、暴力的な何かとか、理不尽な出来事とか、そういうものまた真実だと思うんです。

仏教とか修行とかよくわからないけれど、最終的には、想像で経験を補えるほどの本来的な理解が得られるのでしょうか?そうだとしたら、それってもの凄いことだと思う。
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by yebypawkawoo | 2008-06-19 14:55 | ◆映画のこと  

『好き好き大好き超愛してる。』

好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫 ま 49-6)
『好き好き大好き超愛してる。』 舞城王太郎(講談社文庫)
2008年6月18日読了

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by yebypawkawoo | 2008-06-18 16:15 | ◆本のこと  

『時計じかけのオレンジ』・・・30年前の衝撃が、今ではすんなり受け入れられちゃう事実。

時計じかけのオレンジ
『時計じかけのオレンジ』 スタンリー・キューブリック(1971)
2008年6月14日鑑賞


実は、キューブリック監督の映画はこれが初見。何の予備知識もなくいきなり鑑賞したのだけど、うわー面白かった。SFの棚にあったためにそこから勝手に連想・イメージされたものとは、全く異なる作品であった。近未来を想定、とのことだが、そしてこの映画が作られた1971年(まだ私生まれてない!)には、果たしてそうだったのかもしれないが、現代においてはまったくもって近未来ではなく今ここ、この現実を描写したものといっても過言ではない。いや、1971年からしたら、今こそが近未来なのかしら。

つけまつげしたマルコム・マクダウェル演じるアレックスの顔が印象的。暴力を使う、ということに何の疑問もいだいていない。それは映画全編を通してそう。どこか破綻してないとおかしい。おかしいのに、なぜかそのままの彼に(嫌悪感をいだきつつも)納得しちゃう。なんで?映画が公開された当初は、彼らを模倣した暴力事件が増えて問題になったとの事だけれど、今の時代にそこまでの問題となる作品ってあんまりない聞かないよなーと思う。寧ろ現実の事件として起こることのほうが余りにも衝撃的でそこから生まれる作品っていうものも多い。原作もまた、ある現実の不幸な事件を元に作られたそうだけれど。想像の中で人を殺すのは自由、実際に行ってしまうのが問題。というのはよくいわれることだけれど、現実が想像を超えてしまうのは怖いな~なんだか、と思う。今の時代において、何かものすごい大きな想像で創造して、私たちの想いを昇華させてくれるような、そういう映画やそういう作品ってなにがあるのだろう?
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by yebypawkawoo | 2008-06-18 15:48 | ◆映画のこと  

『実録・外道の条件』・・・

実録・外道の条件 (角川文庫)
『実録・外道の条件』 町田康(角川文庫)
2008年6月8日読了

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by yebypawkawoo | 2008-06-18 15:31 | ◆本のこと