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『キングス&クイーン』・・・私は、人間くさい人に惹かれます。


『キングス&クイーン』 アルノー・デプレシャン(2004)・・・2008年2月25日鑑賞
キングス&クイーン

これを見て考えた。人は個人の人生を生きるんだな、と。生きざるをえないんだな、と。どんな生き方であれ、それを選んだ個人のものだし、責任のもとにあるんだなと。

私は、芥川龍之介の、『藪の中』、が結構好きだ。中学生の頃だったかな、国語の時間に教科書先読みで読んで、なんだかすごく印象に残った。一つの事象を決定づけるのは、主観でしかないんだと知った。すべては主観でしかない。私の主観の中で私は私の人生を生きてるわけ。この映画をみて、そんなことを思いだした。

これは、なんていうか、とても人間くさい映画だ。

話は、主人公ノラと、その2番目の夫イスマエルの二人を軸にすすんでいく。

映画を見ながら感じていたのは、ノラの自分勝手さ。非常にエゴの強い人だなと思いながら見ていた。でも彼女、すごく頭がいい。というか要領がいい。うまい具合に自分の人生を意味付けし、進めている印象。たぶん、わかってるんだよね、自分で。わかってるんだけど確信犯的に見ないようにしてる。人事とは思えない。どこか自分を見ているようで、心苦しい。胸が痛い。

うわっと思ったのが、物語の終盤。ノラのお父さんの遺書の部分。うわー突かれた、と思ったね。そうか、わかる人にはわかるんだよね、って。そう、わかる人にはわかるんです。人間の邪悪さとか自分でも見たくなくて隠してる部分とか、見えちゃうんです。でもさ、そういうのあってこその人間だよね、って私は思うんだけどな。そういう汚い部分を持ってるのが人間でしょう?きれいすぎる人には、あんまり惹かれないよねって思う。逆に怖いと思っちゃう。あるいは、自分への言い訳にすぎないのかもしれないけれど。

それで、一方のイスマエル。彼、非常に格好いい。いや、話の中では適当なダメ人間っぽいのだけど、人生に対して、誠実だと思う。だからかな、なんか切ないの、彼の言動が、言葉が、生き方が。

世間一般的にみると、たぶん、ノラが勝ち組でイスマエルは負け組みなんだけど、でもね。それもあり、これもありなんだなぁってしみじみ感じました、私は。しみじみ。人生なんて、そんな綺麗なもんじゃない、人間くさいのよ、迷うものなのよ、じんせいってさ。

いやいや、それにしてもイスマエル役、マチュー・アマルリックは格好いいなぁ。うううフランスに行きたい・・・とヨーロッパ熱に再び火が。なんて影響されやすいんだ、わたしは。
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by yebypawkawoo | 2008-02-26 01:18 | ◆映画のこと  

『死と身体-コミュニケーションの磁場』・・・こんなに眠いのには理由があった。

『死と身体-コミュニケーションの磁場』 内田樹(医学書院)
死と身体―コミュニケーションの磁場 (シリーズケアをひらく)

確か、3年前位に読んだ本。 

本棚を整理していたら出てきて、そういえばこれ結構面白かった記憶があるなぁとパラパラめくってみたら、何箇所かDOG-EARが。

内田樹が、さまざまな人の発言を引用しながら、身体性の重要性だとか、身体と言葉との関連だとか、言葉の含有するさまざまな矛盾だとかを解きほぐしていく(ようでいて複雑化させている?)本。(だったハズ。)

「オレのこと好き?」という問いに対して、「友達としては好きだけど、男として見たことないから」という場合には「うん、好きよ」。「異性として好き」という場合には「……うん、好きよ」と、こちらの場合は「……」というわずかコンマ何秒のためらいが入る。つまり、わたしたちは、問いかけに対する回答のわずかな遅速の差によって、それがエロティックな言明か非エロス的な言明であるかを識別しているのである。(中略)新語があふれるほど発明されているのに、どうして「好き」のような、語義解釈の間違いがときに死活的に深刻な帰結をもたらす語についてだけは新語の創造をどなたも提言されないのか?
 ここにはどうやら人間存在の根本にかかわる重要な問いがひそんでいるように思われる。私はこの問いを次のように定型化してみたいと思う。
 人間はどうして、わざわざ話を複雑にするのか?



というくだりから始まる本書、学校では教えられないが非常に重要である身体性 (たとえば、頭だけで書かれた言葉はつまらないこと、歯切れの悪いシャイな子は脳に蓄積されただけのストックフレーズを口に出すのを身体が拒否ている正しい反応であること、ハイデガーなんかの難解なテクストを読む際はとにかく文体が身に着くまで繰り返し読むのが重要であり意味は身体理解の後に見えてくること…等々) についての説明から入っていき、死者(死んだあとの私)についての考察まですすんでいく。

身体性の重要性って、はっきり言葉にしなくても、うすうすみんな気づいているんじゃないかな?
私は大学ドロップアウト気味だったのだけど(まぁそこは要領のよさで乗り切りましたけどね)、その根底には身体性の欠如に対する違和感、のようなものがあった気もする。社会人になった今も、身体性の大切さはよく感じる。やっぱり、世論が動く論理って、そうは見えなくても身体性に裏付けされてるよね。

なんかごちゃごちゃ難しそうだけど、講演の内容をまとめているのでそんなに難しくなく、面白い。うん、面白かった(確か。もっかい読みなおそう)。


で、DOGEARがあった箇所ですけどね。
人の話を聞いていて眠くなるのは、それが命をすり減らす経験だということを本能レベルで気づいていて、ある種の仮死状態に入り込んでいるのだ、というくだり。

そうそう、そういえば私、仕事中でも会議中でも、いつでもどこでも眠くなってしまうので、なんとかそれを論理的に説明しよう(ごまかそう)と必至なんだった、あの頃。
眠ってしまうのは、れっきとした病気です、と言わんがために過眠症について色々調べたりしてなぁそういえば。なんて阿呆なんでしょう。ま、結局上司を納得させるのには失敗したんですけども。
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by yebypawkawoo | 2008-02-24 23:42 | ◆本のこと