『オール・アバウト・マイ・マザー』・・・重要なのは人物の特異性ではなく、経験し感じる出来事の普遍性。

オール・アバウト・マイ・マザー『オール・アバウト・マイ・マザー』 ペドロ・アルモドヴァル(1998)
2008年8月22日鑑賞


久しぶりに見ました。2回目の鑑賞。やはり、アルモドヴァルの作品は好きだなぁとしみじみ。(そして、若し日のぺネロぺ・クルスが、そりゃあかわいい)

この作品には、女性の強さが見事に表現されている。あえて触れないという強さ、一気に突き進んでいく強さ。覚悟を決め、腹をくくったとき、どこか棄てばちともとれるような、そういう強さが、女性にはあると思う。果たして男性は、どうなのだろうか?実際のところはわからない。けれど、この作品に描かれる男性は、脇役でしかなく、だからというわけではないけれど、突き抜けたときに発揮される強さ(これは全くもって弱さの裏返しでもあるのだ)というのは、女性だからこそのものなのではないかと感じる。

アルモドヴァルの描く人物は、いわゆる“普通”ではない。性癖や取り囲まれた環境や、設定がノーマルではないことが多い。本作も、出てくる女性は特殊な事情のてんこもり。夫がゲイになってしまいそれを息子に打ち明けられないままその子と死別してしまった女性、彼女の元夫の子供を身ごもりついでにHIVまでもらいうけたシスター、同性愛の女優と、情緒不安定でドラッグ依存の彼女の恋人、底抜けに明るい両性具有のおかまちゃんエトセエトセ。でも、彼女らが経験する出来事や悩みの本質は、ものすごく普遍的なのだ。そして、そこに横たわる愛。泣きたくなるような、この愛こそが普遍だ。世の中には、設定が私たちに近い(つまり大多数が共感できるような)人々に起こる、一風変わった出来事や経験を描いた作品も多いけれど、私にはそんな物語よりも、アルモドヴァルの描く世界のほうが何倍も何十倍も共感できるのだ。
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by yebypawkawoo | 2008-09-08 01:34 | ◆映画のこと  

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