『私の秘密の花』・・・まずは自分に不都合な状況を認めること。それが重要。

私の秘密の花
『私の秘密の花』 ペドロ・アルモドヴァル(1995)
2008年6月26日鑑賞


アルモドヴァル作品は、今のところ私の中ではずれがない。いつも、前知識がほとんどない状態で鑑賞する。最初の数十分間、ストーリーがつかめず、話の展開がわからないことも多いのだけど、見終わった後に思い返してみれば、そのつながりにはっと気づいたりもする。

本作は、マリサ・パレデス演じるロマンス作家のレオが、ある種の心身喪失状態になっているところからスタートする。そこに入る前に、お得意の劇中劇の伏線があるのだけど、まぁそれは置いておいて。レオは心神喪失状態といっても、傍目にはそれとわからない。普通に日常生活を送っているし、いたって普通に見える。けれど、夫との関係が破綻していることに気づいていない、本当は気付いているんだろうけど気づきたくない、だから気付かないようにしていて、けれどもひどくそこに固執してしまっている。友人の忠告や、母親との会話、編集者との関係の中で、それをきちんと認め、そうすることで段々とまっとうな、本来の自分、つまり一つのことに固執しているような状況から抜け出していく、というお話。

恋愛にしても何にしても、こういう状況に陥ったことのある人には、このレオの状況がよくわかるんじゃなかろうか。私はよくわかった。客観的には、この状況はよくない、とわかっているのだけれど、そこに蓋をして色んな言い訳を考えだす。いや、言い訳が考えだせる状態ならまだよくって、一心にひたすらにそればかりを考えてしまう。周りがどんなに心配しても説得しても、自分で“理解”し“認知”しない限り、そこを抜け出すのは困難だ。そのためには、何かきっかけが必要。そして、自分の周りに自分を好いてくれている人がいる、という状況。きっかけは、ほんの些細な瑣末なことでありうる。けれど、そんな瑣末なことだって、人の心を変えるには十分だったりする。どんなに小さな物事であっても、自分の起こした行動や発言が、他人の人生を大きく変えるかもしれない。例え、そう意識していない場合でも。そういうことをきちんと認識して生きていたいと思う。

最初の劇中劇は、脳死を認められない母親を医師が説得するシーン。その中で、医師は言う。息子さんは死んでいるんです。それを認めて臓器移植に同意してくれれば、5人の命が助かるのです。脳死は、自分を取り囲む負の状況、とも読み解ける。自分を否定する物事に出合った時、蓋をするのではなくきちんとそれを認めることができれば、そこから何かが生まれるのだろう。いや、こう書くと陳腐だし、つくり込みすぎな感もあるっちゃあるけれど、映画は結構良かったなぁと思う。
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by yebypawkawoo | 2008-06-26 01:58 | ◆映画のこと  

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