『θは遊んでくれたよ』・・・世の中の事象をきちんと説明しようというところが良い

『θは遊んでくれたよ』 森博嗣(講談社文庫)
2008年4月10日読了

θは遊んでくれたよ (講談社文庫 も 28-35)

森博嗣の本は、文庫化されたものはたいてい読んでいる。
最初のS&Mシリーズは面白くて、毎回楽しみに読んでいて、Vシリーズはそれほどでもなく、四季(シリーズ)はまぁまぁ・・・惰性で読み続けている部分がある、実は。けれど、Gシリーズに入ってからは割と好きになった。つまり私は、西之園萌絵と犀川創平の絡みが好きなんだな、と思う。

森博嗣自身の書く話は、論理的に説明されるところが好きだ。それはトリックが、というだけではなくて、世の中のすべての事象が。一か所に固まった意見ではなく、事実のみを見定めた時に客観的にどうなるか、という視点で描かれている。それが心地いい。登場人物の生を含む物事にに対する思考が心地いい。感覚を感覚で終わらせるのではなく、なんらかの理由をつけようとしているところが。

たとえば、本作であればこういう箇所。

生きているかぎりは、みんな食べている。せいぜいが、自分の好きなものを選ぶくらいの自由しかないのである。こういった生き方が嫌ならば、やはり死ぬしかない。生きていくために必要なことから逃れたいと思うような人がいても、不思議ではない。生きる行為は、少なからず面倒だ。楽しいことがあるから、なんとかやっていけるものの、すべてに厭きてしまったり、煩わしくなることだってきっとあるに違いない。(p.163)

「(中略)宗教って、どうして人の命をあんなに軽く扱うのかって考えたことがあるけど」
「それはそうでしょう。死の恐怖から人を救うために存在する仕組みなんだから、当然ながら、命の軽さを主張する論理になるんじゃない?」(p.199)

「神様が必要となる理由は、基本的には責任転嫁のメカニズムなんだ。誰か他者のせいにする。そうすることで、自分の立ち位置を保持する、というだけのこと」(p.238)


S&Mシリーズは、結構目から鱗な考え方(というか、そうだよねと思うことをそう説明するか!という点で目から鱗)が多かったように記憶している。とはいえ、全部新古書店に売っちゃったんだよね、私ったら馬鹿~。なんだかもう一度読みたくなってきたな。
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by yebypawkawoo | 2008-04-11 21:34 | ◆本のこと  

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