『トーク・トゥ・ハー』・・・孤独から逃れるための生き方について

『トーク・トゥ・ハー』 ペデロ・アルモドヴァル(2002)
2008年3月30日鑑賞

トーク・トゥ・ハー スタンダード・エディション
アルモドヴァル作品は割と好きなんです。
でも、本作は見たことなくて、見たいという友人に便乗して鑑賞。

昏睡状態に陥ったダンサー、アリシアと、彼女を異常ともいえるほどの純愛で見つめ続け、看病する男ベニグノ。昏睡状態に陥った女性闘牛士、リディアと、彼女と愛し合っていたはずの男、マルコ。この2ペアを軸としつつも、話はベニグノとマルコの友情の描写、そして彼らの孤独の対比ですすんでいく。

そう、私は、この作品のテーマは「孤独」なのではないかと感じた。
確かに、ベニグノのやったことは罪といえるだろうし、気持悪いと思う。いや、ホント気持ち悪い。けれど、そこにはまぎれもない純愛がある。それを盲目的に貫き続けたすごさがある。神々しいとさえ思う。その根底には、彼の抱えざるを得なかった、圧倒的な孤独がある。

そして、そんなベニグノとの友情をもったマルコもまた、孤独を知っている。愛する人を愛するがゆえに手放し、想い続けた10年間。そこから救われたと思ったら、また思いもかけぬ瞬間に、孤独へと突き落される。

人は一人では生きていけない、とはよく言う話で、けれど、その一人を支える何かがあれば、つまり孤独でなければ、どうにかなんとか生きていけるのではないかという気がする。一方で、どんなに大勢に人に囲まれていたとしても、自分が孤独であると思ってしまえば、生きていくのは苦しくなる。孤独か否かなんてのはひどく主観的な世界の話で、思い込みでありさえする。でも、本人にとっての、それは真実。そして絶対。
わたしは、私の周りの人には、私の好きな人たちには、その人のことをたとえ理解しきれなかったとしても、側にはきっといるのだということを伝えたいと思った。もし、孤独に嵌ったとしても、そこから出てこれるように。

罪なのか、愛なのか。本作に関してはこの議論をよく聞く。
罪だけど、愛なのだと思う。誰にとっての真実なのか、という話だけだと思う。
どれが本当かなんて、そんなのどれも本当なのだ。

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by yebypawkawoo | 2008-03-30 21:23 | ◆映画のこと  

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