騙すことへの可否を問う

わたしはたぶん、いつもどこか、
自分で自分を騙しているようなところがあって。
常に第三者的視線を気にしている、部分があるのかもしれない。

それは多分、キリスト教とか宗教や神という存在が
身近なものとしてある人々には当たり前の状況なのかもしれない。けれど、
あくまで想像するに、わたしの場合はそれとはちょっと違う気がする。


例えば、この日記にしてもそう。
こうありたいとか、こうであったらいいなとか、
あるいは、こうであるべきなんじゃないか、とか。
そういうところ、“場”へあえてもって行ってるんじゃないか、
という気がする。


あるいは。人生は単に思い込みに過ぎないのかもしれない。
人生、というか、そこで繰り広げられる諸々の思想、
それに根ざした行動、関係、そういうもの。

うまく騙されてればいいのだけど、
たまに違和感を感じ全てをひっくり返したくなるのだから、
それが問題になる。
ちゃぶ台をひっくり返したって畳が汚れるだけなのに。

あるいは。
今この時感じ考えている事が、
一寸先には虚構であったことに気づいてしまうんじゃないかという恐怖。

割りきりきれない、どうしても。
多分、適当にこなしてきてしまった事へのツケ。
本質をみようとしなかったことへのツケなのだ。

問題なのは、環境ではなく、自分自身の有り様。
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by yebypawkawoo | 2008-03-25 18:38 | ◆考えたこと  

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