正確な言葉を使う

正確な言葉を使いたいと思う。
それは、きちんと生きるということと同義だ、私の中で。

最近、正確な描写をする人に出会った。
彼の言葉には、嘘がない。確信犯的につく嘘だとかは別だけれど、
なんていうか、適当ではない。適当さに逃げていない、とでもいえるだろうか。

正確な描写をしようとすると、言葉に遊びが無くなる。
つまり、そこには他者からの想像の(期待といったほうが正確か?)余地がない。
人は、他人の言葉の遊びの部分を、勝手に自己解釈して、自分の都合のよいように
(それは、自分にとって良い意味でも悪い意味でも)期待をする。

彼はそういう甘えを許してくれない。
それは、“きちんと”生きる努力をしているということ。
適当さに甘んじて生きてきていた、このところの私は、はっとする。
はっとして、その正直さや誠実さや、危うさに、溺れそうになる。
蓋をしたくなる。それは、私の弱さ。

言葉を正確に話したいと思う。適当さに甘んじることなく。その余白に甘えることなく。
それは、きちんと生きることと同義なのだ、私の中で。
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by yebypawkawoo | 2008-03-17 23:34 | ◆考えたこと  

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