繰り返す西瓜

ここ最近、夜ごはんがスイカだ。

終電帰りが続き、夜中ともなるとお腹もすいたを通り越して、
やや気持ち悪くもあり、でも何か食べたい。
そういうわけで、帰り道にあるスーパーで、
スイカの小分けパック(切り分けてあるやつ)を買って、
帰って食べるのが恒例となっている。

久しぶりに昼間にスーパーに寄った日曜日、
思い立って、1/4カットのスイカを買ってみた。
これなら、毎晩真夜中にスーパーによる必要がなくなる。
それで、翌月曜日の今日、
早速、買ってきたスイカを切り分けてかぶりついてみたのだ。

なんていうか、すごいノスタルジーに襲われて、まいった。
縁側で風を感じながら、むわっと湿った暑い空気の中で
スイカにかぶつく自分が浮かび上がってきたのだ。
それはもう鮮明に。蝉の声まで。

そういえば、あの肌にまつわりつくような夏の熱気を
感じなくなって何年たつのだろう。
昼間はクーラーの効いたオフィスにこもり、外に出るのは朝と夜中だけ。
こういう生活が日常と化している今、
あの夏の日は、それが日常となることは、
私にはもう来ないのかもしれないと、突如として思う。

過ぎた日は戻ってこないのだ。
それは時間という意味だけではなく、物理的なものとして、そうなのだ。
あの子供だった私の目線から見上げた緑の濃い木々はもうないのだと、
扇風機とうちわで過ごし、タオルケットで昼寝をして、畳の後がほおにつく自分はもういないのだと、
こんなデフォルトされたいわゆる典型的な日本の夏が
実際の私の経験として存在していたものが、
お話の中だけのものとなってしまうのだろうか。

あるいは、本当にそれらは私の経験だったのだろうか。
私のイメージが作りげた虚構ではないのか、そんな気さえしてくる。

これから先、積極的に形作っていかない限り、
繰り返すことはない光景のなんと多いことか。
子供時代に経験したあの日々は、この東京で当たり前に生活していたら、
ただの記憶と化してしまう日々なのだと気付く。

メビウスの輪がほどけた。
意識しない限り、ふたたび結びつくことはないのではないかと、
なぜかしら焦燥に駆られる。
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by yebypawkawoo | 2009-06-08 20:48 | ◆考えたこと  

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